続いて営業所ごとの動きにとりかかってみる。出入を把握することで、車輌の動きをかなり正確に把握することができるためだ。
一例として昭和54年4月の早稲田を。昭和43年のトロリーバス代替・46年の都電代替で大量の新車が入ったため、車輌の構成としては相当いびつな構成になっている。
昭和43年度 三菱(三菱ボディ) MR410 42輌(R588~R629)
昭和46年度 三菱(呉羽ボディ) MR410 21輌(W407~W427)
昭和52年度 三菱(三菱ボディ) MR410-3UA 7輌(E558~E564)
昭和53年度 三菱(呉羽ボディ) MP107K-3U 7輌(F115~F121)
計77輌、年度別に分けてもわずか4種類のみ。超画一的とも言える。このような車庫の場合、平均車齢を車庫ごとになるべく差をつけないという交通局の方針もあるため、大量に入った車は大抵途中で少しずつ転出/除籍して行き、代わりに新車もしくは中間世代の代が入っていくことで、いびつな構成をならしていくという手法が採られていく。事実、この時点で既に、F代と入れ替えでR511~R517が青戸・南千住に、E代と入れ替えでW400~W406は渋谷に転属している。
この直後にG代が入る(冷房車込みのG361~G367)が、このときもW407~W412を渋谷に転属させている。ただし、それでも多くは入れ替えで除籍された。R代は昭和55年4月~57年7月の数段階に分かれて除籍することで影響を薄めたが、それでも代わりのH代は21輌も入っている。
昭和59年3月のW代死滅時はだいたいこんな感じ。B494~496は末期の転属にあたるが、転属してきて最後のW代を押し出して除籍させた。
昭和47年度 三菱(三菱ボディ) MR410改 1輌(Z401) ←南千住からの転属
昭和49年度 三菱(三菱ボディ) MR410-2UA 3輌(B494~B496) ←南千住からの転属
昭和49年度 三菱(呉羽ボディ) MR410-2UA 1輌(B529)
昭和52年度 三菱(三菱ボディ) MR410-3UA 7輌(E558~E564)
昭和53年度 三菱(呉羽ボディ) MP107K-3U 7輌(F115~F121)
昭和54年度 三菱(呉羽ボディ) MP107K-3U 7輌(G361~G367)
昭和54年度 三菱(呉羽ボディ) K-MP107K-3U 7輌(G464~G470)
昭和55年度 三菱(呉羽ボディ) K-MP107K-3U 21輌(H185~H205)
昭和56年度 三菱(呉羽ボディ) K-MP107K-3U 7輌(K478~K484)
昭和57年度 三菱(呉羽ボディ) K-MP107K-3U 7輌(L578~L584)
昭和58年度 三菱(呉羽ボディ) P-MP118K 7輌(M314~M320)
計75輌。
R・W代の除籍の代わりではH・K・L・M代が連続で入ったが、今度はこれらの車の末期に旧世代の車(L代くらいまで)が排ガス基準強化で一斉に除籍されることになり、平成2年~3年のW・X代が大量に入ることとなった(Wは19輌、Xは18輌)。
途中で大江戸線の改編に伴う移動や減車を挟んだものの、今度はW・X代の除籍時期が出始めたため、H・K・L代がいずれも大目に導入されている。ということで英字が1周する間に車輌はふた回りするが、歴史は回ることを実感できる......かもしれない。
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