局番のひみつ その3

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S・昭和62年度

 前の続き。

 S代は局番の数字としてはエポックメイキングな年であった。

 1つは「00」。R代までの時点で、一般車(100~799)は757、中型車(800~899)は885、そして特定車(900~999)は989まで進んでおり、いずれも初期の数字に戻って100, 800, 900が局番として使われた。特に100(C-S100)は長らく使われておらず、久々の使用となった。

 2つ目は同一代内での局番のループ。中型車は800からのスタートとせず、S886から始めた後899まで完全に使い切り、その後にS800に戻っている。同じ代でのループはW代(昭和45年度)でも見られるが、ここまで明確ではなかった。それまでであれば800(801)から仕切り直ししてスタートさせるところで、今までのとの趣向の違いを感じ取ることができる。

 その他、[都03](新宿駅西口~晴海埠頭)、[都04](東京駅南口~豊海水産埠頭)用のまとまって導入され、それぞれS200~233、250~264が割り当てられた。まるで[都01]と[都02]のような関係で、同じ番号帯を使っているが、他の都市新バス車と混在することも考えられなかったため、同じ200番台を使うことにしたのだろう。渋谷にも[都01]の輸送力増強用に2両増車されたが、R239の続き番号としてS240, 241が入った。この段階では、まだ都市新バスに専用の番台を連続して割り当てる強い意志が感じられる。

 なお、中型車・都市新バス車が大量に入ったため一般車は少なく、100からスタートした一般車は156で終了した。

T・昭和63年度

 Sの続きで言えば157からスタートとなるところだが、大きく飛んで300からとなった。前述の通り、200番台が都市新バス用の番台という意識が大きく働いていたのだろう。

 ただし、T代にも都市新バス車が入った([都05]東京駅南口~晴海埠頭)が、これには300~314が割り当てられ、さらに315~からは一般車がそのまま利用した。[都03][都04]と併走するため同一番台を割り当てにくかったが、さりとて都市新バス用の番号帯を多数保持するわけにもいかなかった、という考えが見える。

 T代でもう1つ不思議なのは、前期導入がT416で終わったあと、なぜ後期導入がT478からスタートしたという点だ。何かの続き番というわけでもなく、ここまで中途半端なところから始まるのは初めてのことである。確定後に車輌予定数の減少があったのか?

 なお、上野~浅草の2階建てバスの増車分については、H103の続きでT105が入った。104がないのはアパートやホテルのx04号室を避けるのと同じで、忌み番扱いとしたためだろう。

V・平成元年度

 都市新バスの増加に伴い、都市新バスに専用番台という方針が2つの意味で破綻した。

 1つ目は既存系統の増車分についてだが、[都03]用の1両増車分としてS233の続き番でV234が、[都01]用の2両増車分としてS241の続き番でV245, 246が入った(243,244でないのが不思議だ)。そして[都02]用も7両増車されることになったが、P277の続き番とはならず、なぜか一般車の番台であるV506~512が割り当てられた。T505の続きという意味では順当だが、なぜ、どうして。番号のバッティングはないはずだが。

 そして2つ目は6番目の都市新バス[都06](渋谷駅~赤羽橋~新橋駅)の開通用に割り当てられた車で、ついに一般車の番台に完全にまじってV600~V633となった。始まりこそV600ときりのいい番号にしているが、これで都市新バスを専用番台にする試みは潰えてしまった。

 42と49の避け方も方針が変化してきており、40手前でキリのいい50(51)まで飛ばすのが常態化していたが、ここに来て滅多に使われない42~49の間の数字が久々に使われた。これ以前は昭和47年度のZ代まで遡らなければならず、ポリシーの変化が感じられる。

 なお、江戸川区の2階建てバスが開通したが、台東区の続き番で106, 107が割り当てられた。

W・平成2年度

 排ガス規制などもあり、古い経年車を急速に新陳代謝させる目的で例年の倍ともいえる300両程度が入った。このこともあってか、一般車はV633の続きで634からのスタートとなったが、ついに一般車も代の途中で一周することになり、W798まで進んだ後はW100に戻った。799まで行かなかったのは惜しい。

 都市新バス車としては完全に番号帯が一般車と同化し、[都01]の初代(M代)置き換え車として入った車はW101~116を名乗った。一応キリのいい番号とも言えるが、それ以外の[都03]増車用のW768に至っては完全に一般車と同じ番号帯である。

 特殊な車としては、W100(LPG試験車)や、最末尾のW291~298が挙げられる。降車の8両は初の超低床リフト車が該当するが、一般車がW285までで終わって一旦番号が飛んでいるのを見ると、特別な番台として与えた様子がうかがえる。

 V代に続き、W145, 146という局番が誕生した。42~49の間も使う意識が少しずつ増えてきたようだ。

X・平成3年度

 W代に引き続き大量導入となった。299はリフト車番台に譲ったのか300からの開始となった。一般車は300~589が使われ、数字を節約して使うようになったのか、W代に引き続きX345~348, 445, 446といった番号が誕生している。

 特殊な番号としては、銀ブラバス用のX111~113、初代HIMR車のX516、リフト車のX591~598がある。銀ブラバスは、2階建てバス(101~)と似た性質ということで、続き番台を利用したのだろう。初代HIMR車は特に変哲のない番号だが、前後の一般車は~X515、X519~となっていて、空いた517, 518は何かに使おうとしたのかが気になる。リフト車はW代と同じく、ここだけ前後を少しだけ空けて確保してあるが、数字の番台そのものには意味はなさそうだ。

 7番目の都市新バス[都07](錦糸町駅~門前仲町)が誕生したが、X600~630が割り当てられた。一応独立した番台ではあるが、専用というわけでもなく、多少きりのよい数字を採用しただけと思われる。

Y・平成4年度

 大量導入の余波で、わずか2年で数字が一周してしまう。X630の続きでY631からのスタートとなったが、Y798まで進んだ後はY110に戻り、Y144で終わりとなった。100~109を避けたのは2階建てバスが使っていて、同時に2階建てバス用としてY108, 109が入ったこともあるのだろう。昨年入った銀ブラバス用の番台は特に避けることもしていない。

 都市新バス(HIMR車)は780~789に、またリフト車は今度は791~798が割り当てられた。全て91~98になっているのは何か意思があるのやら。

Z・平成5年度

 普通に考えればY144の続きで145から、そうでなくとも150からとなりそうなものだが、220というこれまた不思議と中途半端なところからのスタートとなった。100後半に何かがあったのだろうか。377まで入ったが、200番台・300番台とも42と49を飛ばすだけでそれ以外の40番台の数字も全て使うようになり、もはやここまで来て、今までのつけかたの趣向とははっきりと違うものになってきたことが見て取れる。

 低公害車・都市新バス・リフト車も引き続き導入されたが、それぞれに専用の番台を割り当てることはせず、番号帯の後半に「一般車でない車」をまとめて割り当てる方式となった。(一般車は~319、日野低公害のHIMRは320~331、三菱低公害のMBECSは332、都市新バスは333~367、リフトは368~377) この方式は今後しばらくの間のトレンドとなる。

A・平成6年度

 ちょっと不思議なA代。不思議なのは、導入時期と番号の並び順が合っていなかったり、不思議な飛び番があるところだ。

 大きく分けると、1回目導入分(平成6年7月)はA401~448、2回目導入分(平成6年12月)はA500~530+A476、3回目導入分(平成7年1月~3月)はA450~491, 531~546, 581~590となっている。

 581~590はリフト車で、専用の番台を与えるのは今までと同じだが、Z代とポリシーが異なったり、また547から580までは未使用になっているのは気になるところだ。他に特徴的な車としては、初代CNG車としてA450, 475, 476の3両が導入されたものの、A450は他の低公害車車と連番になっているのに対し、A475, 476は周囲が不自然に空いている(~A472, 475, 476, 482~という埋まり方になっている)。

 これらを考えるに、当初の予定からズレが出て、導入時期、車輌数ともに狂いがあったことを感じさせる。ちょうど都市博の中止決定時期に近く、もし開催された場合は低公害車を導入して大々的にアピールするつもりだったとも言われているが、もしかしたら関係があるのかもしれない。

 台東区2階建てバス用としてA110が入籍し、ついに一般車の番台まで達しそうになったが、結局2階建てバスの新車はこれが最後となったため、うまく棲み分けることとなった。

B・平成7年度

 A代に比べると、素直な付番に戻った。A590の続きでB591からスタートし、前期導入分はB591~675、後期導入分はB701~753がほぼ穴もなくつけられ、Z代と同じく、一般車以外は番台最後にまとめて押し込まれた。と言っても、バスの種類も多様化し、むしろ一般車のほうが少なくなってきている。例えば、前期導入分で言えば、一般車はB591~607のみで、608~654は各社の低公害車、655~668はらくらくステップ車、669~675は都市新バス車と厚い布陣になっている。

 中型車は少量導入となったが、W877の続きの878~ではなく、なぜか843という中途半端なところからとなった。B代で入ったのは千住の中型車だが、既に存在しているのはP858~871, R872~878, S819~822という後世で、これらと同じ番号を避けるとしても、878~を避けるのは分かるが、880~辺りを使うか、800~にリセットするかすれば良いはずである。

 確かに、800番台は今まで40番台を完全に避けるような付番しかしておらず番号帯を使い切っていなかったため、843~848は未使用だった。しかし、ちょうど6両とはいえ、この時点で使う意味はあったのかはナゾだ。

 

 

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このページは、plutoが2008年11月 5日 00:33に書いたブログ記事です。

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