2008年11月アーカイブ

追い込み中。ところでこれ、冬コミに間に合うのだろうか。

整理して作図するのは今更ながら大変だと思う。線が錯綜する場合はもう少し太さと色に気を使えばよかったかと思ったが、作った後なのでこれで行くことにする。 081130.png

 

そういえばコミックマーケットが受かっていたので、新刊について少し書いてみようとする。とりあえず資料をあさって整理するのに一苦労だ。コピーした紙の束(しかも大きな地図を何分割かでコピーしたもの)なんかはどうするかね、コレ......

とりあえず作図を続けてみる。このままだと、都営バスいまむかしどころか、都営バスむかしむかしになるのは間違いない。どのくらいのボリュームにしようか考え中。

▼下の図、これが「いつの」「何を」指すか1分以内に分かった人は都営バス二段。

doc_0811.png

T.K.

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なんかテレビつけたら小室哲哉が逮捕とかいってたのでびっくりしました。おクスリ絡みとかではなくて借金苦のすえの詐欺というのが栄枯盛衰を256倍くらい感じさせる。

ということで、全然関係ないけど小室哲哉の名(たまに迷)曲を思い返してみよう。

・TM Networkについて

 音を聴けば「小室サウンドだ!」と思わずにはいられないほどの特徴がある。ツボにはまると心地よい。アルバムで言えば、3枚目のGORILLA、4枚目のSelf Control、5枚目のhumansystemは掛け値なしにオススメ。GORILLAだと「NERVOUS」「Come on Let's Dance」、Self Controlだと同名の曲やラストの「Fool On The Planet」「Here,There & Everywhere」、humansystemもやはり同名の曲を筆頭に、「Children of the New Century」「Resistance」あたりが外せないかな?

今聴くとサウンドがさすがに'80年代で、今の豪華さが足りない部分はあるがそれでも名盤だろう。そういえばhumansystemで思い出したが、何でBe Togetherって鈴木あみがカバーしたんだろう。もっとほかにウケそうな曲があっただろうに。

 シングルだと有名なGet Wildはやはり外せないが、それ以外では上に挙げた以外では「1974」「TIME TO COUNT DOWN」あたりで。シティーハンターだと「Still Love Her」が割と名曲かも。

・小室哲哉提供曲について

 何といっても渡辺美里。やたらと提供している。しかも結構粒揃い(後年提供曲だけ集めてアルバムが出たと思う)だが、何と言っても「My Revolution」は色あせなくてスバラシイ。青春ソングと呼んでも差し支えないくらいだ。これで一躍有名になったと言ってもいいのではないか。他の渡辺美里はその前の「死んでるみたいに生きたくない」「Teenage Walk」の青春的シリーズも欠かせない。あとはもう少し時代が下ると「JUMP」「悲しいね」あたりが頭に流れる。かーなしいねー かなしいねー かなしいーねー♪

 あとは思い出すとろころだと......

・中山美穂...JINGI・愛してもらいます......さすがにこれはどうかと。サウンドは小室サウンドそのものっぽいが、企画盤のようなチープな感じが1回転してたまらない。しかも松本隆作詞だしな。「そういまどきツッパリはー 時代遅れのみーほーんじゃない」というセンスが凄い。まだ「50/50」のほうがいいかな......

・小泉今日子...Good Morning Call...最初はどうかと思っていたが、サビの部分がやっぱり小室サウンド。隠れた名曲。惜しむらくはKYON^2にもう少し声量があれば...

・松田聖子...Kimono Beat...たぶんこの1曲きりだと思う。相当歌いづらいほうに入ると思うが、それでも松田聖子の曲になる松田聖子はすごい。でも多分迷曲。

・伊藤かずえ...星屑のイノセンス...一般的には「不良少女とよばれて」以来大映ドラマに欠かせない人なのだろうが、アイドルらしく曲も結構出している。最初から最後まで小室サウンドが突き抜ける隠れた名曲。なぜかNHKのアニメ三銃士とタイアップしていた。

・宮沢りえ...NO TITLIST/ドリーム ラッシュ...宮沢りえをプロデュース(でいいんだろうか?)していた小室哲哉。今から考えるとすごいことだ。とにかく超美少女だったが歌は......人には向き不向きがあるということか。いや、安田成美や新田恵利よりはずっといいと思うけれど。曲は今聴いてもいいと思う。誰かカヴァーして蘇らせてはくれないものか。

・田中美奈子...夢みてTRY...昔50円でシングル買ってきたのでなぜか家にある。なぜか間奏にマイムマイムが入るふしぎな曲。サビはまごうかたなき小室サウンドだが、わざわざ探すほどの曲でも......

あとは観月ありさとかにも提供していたような気がする。結構幅広くアイドル業界に卸していたものだ。

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・TPD...10代に罪はない/キスは少年を浪費する(だっけ?) とか...すみません、タイトルだけ覚えてるけど曲はさっぱり忘れてしまった。TPDで覚えてるのはソニーカセットテープのCMで有名なovernight successをカバーしたのくらいだ。

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・trf以降について

trfといえば、1山10枚100円のレンタル落ち中古シングルの常連。

今「EZ DO DANCE」とか聴くと一回転くらいして新鮮な気持ちで聴けるかと思ったがやはりムリだった。あと10年くらい寝かさないといけないらしい。それだったら内田由紀のOnly Youとかのほうがいい。そろそろ書くのも疲れたので(終)。

 

S・昭和62年度

 前の続き。

 S代は局番の数字としてはエポックメイキングな年であった。

 1つは「00」。R代までの時点で、一般車(100~799)は757、中型車(800~899)は885、そして特定車(900~999)は989まで進んでおり、いずれも初期の数字に戻って100, 800, 900が局番として使われた。特に100(C-S100)は長らく使われておらず、久々の使用となった。

 2つ目は同一代内での局番のループ。中型車は800からのスタートとせず、S886から始めた後899まで完全に使い切り、その後にS800に戻っている。同じ代でのループはW代(昭和45年度)でも見られるが、ここまで明確ではなかった。それまでであれば800(801)から仕切り直ししてスタートさせるところで、今までのとの趣向の違いを感じ取ることができる。

 その他、[都03](新宿駅西口~晴海埠頭)、[都04](東京駅南口~豊海水産埠頭)用のまとまって導入され、それぞれS200~233、250~264が割り当てられた。まるで[都01]と[都02]のような関係で、同じ番号帯を使っているが、他の都市新バス車と混在することも考えられなかったため、同じ200番台を使うことにしたのだろう。渋谷にも[都01]の輸送力増強用に2両増車されたが、R239の続き番号としてS240, 241が入った。この段階では、まだ都市新バスに専用の番台を連続して割り当てる強い意志が感じられる。

 なお、中型車・都市新バス車が大量に入ったため一般車は少なく、100からスタートした一般車は156で終了した。

T・昭和63年度

 Sの続きで言えば157からスタートとなるところだが、大きく飛んで300からとなった。前述の通り、200番台が都市新バス用の番台という意識が大きく働いていたのだろう。

 ただし、T代にも都市新バス車が入った([都05]東京駅南口~晴海埠頭)が、これには300~314が割り当てられ、さらに315~からは一般車がそのまま利用した。[都03][都04]と併走するため同一番台を割り当てにくかったが、さりとて都市新バス用の番号帯を多数保持するわけにもいかなかった、という考えが見える。

 T代でもう1つ不思議なのは、前期導入がT416で終わったあと、なぜ後期導入がT478からスタートしたという点だ。何かの続き番というわけでもなく、ここまで中途半端なところから始まるのは初めてのことである。確定後に車輌予定数の減少があったのか?

 なお、上野~浅草の2階建てバスの増車分については、H103の続きでT105が入った。104がないのはアパートやホテルのx04号室を避けるのと同じで、忌み番扱いとしたためだろう。

V・平成元年度

 都市新バスの増加に伴い、都市新バスに専用番台という方針が2つの意味で破綻した。

 1つ目は既存系統の増車分についてだが、[都03]用の1両増車分としてS233の続き番でV234が、[都01]用の2両増車分としてS241の続き番でV245, 246が入った(243,244でないのが不思議だ)。そして[都02]用も7両増車されることになったが、P277の続き番とはならず、なぜか一般車の番台であるV506~512が割り当てられた。T505の続きという意味では順当だが、なぜ、どうして。番号のバッティングはないはずだが。

 そして2つ目は6番目の都市新バス[都06](渋谷駅~赤羽橋~新橋駅)の開通用に割り当てられた車で、ついに一般車の番台に完全にまじってV600~V633となった。始まりこそV600ときりのいい番号にしているが、これで都市新バスを専用番台にする試みは潰えてしまった。

 42と49の避け方も方針が変化してきており、40手前でキリのいい50(51)まで飛ばすのが常態化していたが、ここに来て滅多に使われない42~49の間の数字が久々に使われた。これ以前は昭和47年度のZ代まで遡らなければならず、ポリシーの変化が感じられる。

 なお、江戸川区の2階建てバスが開通したが、台東区の続き番で106, 107が割り当てられた。

W・平成2年度

 排ガス規制などもあり、古い経年車を急速に新陳代謝させる目的で例年の倍ともいえる300両程度が入った。このこともあってか、一般車はV633の続きで634からのスタートとなったが、ついに一般車も代の途中で一周することになり、W798まで進んだ後はW100に戻った。799まで行かなかったのは惜しい。

 都市新バス車としては完全に番号帯が一般車と同化し、[都01]の初代(M代)置き換え車として入った車はW101~116を名乗った。一応キリのいい番号とも言えるが、それ以外の[都03]増車用のW768に至っては完全に一般車と同じ番号帯である。

 特殊な車としては、W100(LPG試験車)や、最末尾のW291~298が挙げられる。降車の8両は初の超低床リフト車が該当するが、一般車がW285までで終わって一旦番号が飛んでいるのを見ると、特別な番台として与えた様子がうかがえる。

 V代に続き、W145, 146という局番が誕生した。42~49の間も使う意識が少しずつ増えてきたようだ。

X・平成3年度

 W代に引き続き大量導入となった。299はリフト車番台に譲ったのか300からの開始となった。一般車は300~589が使われ、数字を節約して使うようになったのか、W代に引き続きX345~348, 445, 446といった番号が誕生している。

 特殊な番号としては、銀ブラバス用のX111~113、初代HIMR車のX516、リフト車のX591~598がある。銀ブラバスは、2階建てバス(101~)と似た性質ということで、続き番台を利用したのだろう。初代HIMR車は特に変哲のない番号だが、前後の一般車は~X515、X519~となっていて、空いた517, 518は何かに使おうとしたのかが気になる。リフト車はW代と同じく、ここだけ前後を少しだけ空けて確保してあるが、数字の番台そのものには意味はなさそうだ。

 7番目の都市新バス[都07](錦糸町駅~門前仲町)が誕生したが、X600~630が割り当てられた。一応独立した番台ではあるが、専用というわけでもなく、多少きりのよい数字を採用しただけと思われる。

Y・平成4年度

 大量導入の余波で、わずか2年で数字が一周してしまう。X630の続きでY631からのスタートとなったが、Y798まで進んだ後はY110に戻り、Y144で終わりとなった。100~109を避けたのは2階建てバスが使っていて、同時に2階建てバス用としてY108, 109が入ったこともあるのだろう。昨年入った銀ブラバス用の番台は特に避けることもしていない。

 都市新バス(HIMR車)は780~789に、またリフト車は今度は791~798が割り当てられた。全て91~98になっているのは何か意思があるのやら。

Z・平成5年度

 普通に考えればY144の続きで145から、そうでなくとも150からとなりそうなものだが、220というこれまた不思議と中途半端なところからのスタートとなった。100後半に何かがあったのだろうか。377まで入ったが、200番台・300番台とも42と49を飛ばすだけでそれ以外の40番台の数字も全て使うようになり、もはやここまで来て、今までのつけかたの趣向とははっきりと違うものになってきたことが見て取れる。

 低公害車・都市新バス・リフト車も引き続き導入されたが、それぞれに専用の番台を割り当てることはせず、番号帯の後半に「一般車でない車」をまとめて割り当てる方式となった。(一般車は~319、日野低公害のHIMRは320~331、三菱低公害のMBECSは332、都市新バスは333~367、リフトは368~377) この方式は今後しばらくの間のトレンドとなる。

A・平成6年度

 ちょっと不思議なA代。不思議なのは、導入時期と番号の並び順が合っていなかったり、不思議な飛び番があるところだ。

 大きく分けると、1回目導入分(平成6年7月)はA401~448、2回目導入分(平成6年12月)はA500~530+A476、3回目導入分(平成7年1月~3月)はA450~491, 531~546, 581~590となっている。

 581~590はリフト車で、専用の番台を与えるのは今までと同じだが、Z代とポリシーが異なったり、また547から580までは未使用になっているのは気になるところだ。他に特徴的な車としては、初代CNG車としてA450, 475, 476の3両が導入されたものの、A450は他の低公害車車と連番になっているのに対し、A475, 476は周囲が不自然に空いている(~A472, 475, 476, 482~という埋まり方になっている)。

 これらを考えるに、当初の予定からズレが出て、導入時期、車輌数ともに狂いがあったことを感じさせる。ちょうど都市博の中止決定時期に近く、もし開催された場合は低公害車を導入して大々的にアピールするつもりだったとも言われているが、もしかしたら関係があるのかもしれない。

 台東区2階建てバス用としてA110が入籍し、ついに一般車の番台まで達しそうになったが、結局2階建てバスの新車はこれが最後となったため、うまく棲み分けることとなった。

B・平成7年度

 A代に比べると、素直な付番に戻った。A590の続きでB591からスタートし、前期導入分はB591~675、後期導入分はB701~753がほぼ穴もなくつけられ、Z代と同じく、一般車以外は番台最後にまとめて押し込まれた。と言っても、バスの種類も多様化し、むしろ一般車のほうが少なくなってきている。例えば、前期導入分で言えば、一般車はB591~607のみで、608~654は各社の低公害車、655~668はらくらくステップ車、669~675は都市新バス車と厚い布陣になっている。

 中型車は少量導入となったが、W877の続きの878~ではなく、なぜか843という中途半端なところからとなった。B代で入ったのは千住の中型車だが、既に存在しているのはP858~871, R872~878, S819~822という後世で、これらと同じ番号を避けるとしても、878~を避けるのは分かるが、880~辺りを使うか、800~にリセットするかすれば良いはずである。

 確かに、800番台は今まで40番台を完全に避けるような付番しかしておらず番号帯を使い切っていなかったため、843~848は未使用だった。しかし、ちょうど6両とはいえ、この時点で使う意味はあったのかはナゾだ。

 

 

 せっかくなので、局番続きでもう少し書いてみよう。後ろ3桁は車体にも堂々と書いてある通番になる。だいたい年度をまたいでも通し番号になり、大型車で言えば100~799の枠を外れそうになったら、また元の数字に戻るということを繰り返しているが、番号の制約条件があまりなく、100~799は大型、800~899は中型という程度の条件しかないため、年によって方針はバラバラだ。

 101から始めるか100から始めるか、特別な車に特別な番台を与えるか、忌み番である下2桁の42と49をどのように飛ばすかについてはその年の担当者次第と言うほかない。悪く言えば行き当たりばったり、秩序がないと言える。良く言えば............

......

柔軟?

 昭和52年度まではワンマン・ツーマン兼用車の大型車は400~699を使うことになっており、ほとんどの車がここに納まっていたが、ツーマン専用車は既に時代の遺物となり、昭和53年度のF代より100~を使うように拡大された。せっかくなので、年度ごとの使用数字を並べてみよう。いかに年ごとに使い方を変えていったかが分かろうというもの。

標準 その他 中型
F(昭53) 101~335
G(昭54) 351~535
H(昭55) 111~319 2階建101~103 ミニバス801~813
K(昭56) 320~525
L(昭57) 526~734
M(昭58) 111~198
250~327
都市新200~232
N(昭59) 350~514 800~827
P(昭60) 515~620 都市新250~277 828~871
R(昭61) 621~757 都市新233~239 872~885
S(昭62) 100~156 都市新200~264 886~899
800~837
T(昭63)

315~416
478~505

2階建105
都市新300~314
851~866
V(平元) 513~595
634~663
2階建106, 107
都市新234, 245, 246
都市新506~512
都市新600~633
867~870
W(平2) 664~798
101~285
LPG試験100
超低床291~298
871~877
X(平3) 300~589 銀ブラ111~113
リフト591~598
都市新600~630
Y(平4) 631~798
110~144
2階建108, 109
Z(平5) 220~331 都市新332~377
A(平6) 401~448
451~472
482~546
2階建110
CNG450, 475, 476
リフト581~590
B(平7) 591~753 843~848
C(平8) 760~794
160~199
202~245
ノンステ200, 201 850~863
D(平9) 247~348 ノンステ202~222 864~872
E(平10) 350~379
422~439
ノンステ400~421, 440 873~893
800~808
F(平11) 441~464
G(平12) 894~896
H(平13) 100~194
200~263
300~323
K(平14) 465~629 CNG676~687
L(平15) 630~799
100~109
115~122
燃料電池111
M(平16) 123~263
N(平17) 270~420
P(平18) 421~538
R(平19) 538~641 ハイブリ111~115
S(平20) 644~

F・昭和53年度

 心機一転、100番台から使うことにしたが「101~」からのスタートで、決して「100~」ではない。しかしながら、今まで大型車を400~699の枠で収めていたときに、最初の数字である400を使っていなかったのかというとそういうわけでもない。このように、年度によって400からスタートしていたか、それとも401からかは異なっている(なんで同じ年度でバラバラになってしまうのかのほうが不思議だが)。ただ、昭和53年付近は401スタートが優勢だったようで、それに倣ったのかもしれない。

  • 400からスタート......M(昭41)、N(昭42)、S(昭43)、T(昭44)、V(昭44)~Y(昭46)
  • 401からスタート......K(昭40)、P(昭42)、R(昭43)、Z(昭47)※、B(昭49)~E(昭52)

※後年改番でZ400が誕生したが初期は存在しなかったため除外

G・昭和54年度

 F335まで終わって、次はG336からスタートかと思いきや、なんと15も飛ばして351からの開始となった。都営バスの局番は、ナンバープレートの番号と同じく、下2桁が42と49を飛ばす決まりとなっているため、336からスタートした場合に間に空き番号が挟まるのを避けたのかもしれない。

この処理も年度によってバラバラだ(都電代替で車の多かった昭和40年代は、42と49だけ避けてその間もぴっちりと使い切っている例が多い)が、前年のF代は細かく見るとU-F135の次はS-F151まで飛ぶ、D-F223の次はA-F251まで飛んでおり、まったく同じ癖と見て差し支えない。B~E代も同じポリシーであり、ここに、「B~G代の番号振りの担当者は同じ」と推測する次第である。ちなみにR-F192の次もA-F201に飛んでいるが、かなり虫食いを嫌う潔癖症な感じが見て取れる。

 ただし、この辺りから、42, 49を避けた後の始まりの数字は51ではなく50になることが多くなる。

H・昭和55年度

 H代は536から始めればよさそうだが、なぜか111からスタートになってしまった。H代は200両程度のため、799までに収まりそうだが、実はこの時点では一般大型車は100~699の枠しかなく、そのまま詰めたのでは699を超えてしまうためだろう。今から考えれば100に戻ればよさそうなものだが、同じ代で戻ることは近年にはなかったので、あまりしたくなかったのだろう。

 101から開始になっていないのは、昭和56年開業の台東区の2階建てバスに101~103を使ったためだろう。一般車は110からではなく111からだったり、42と49の避け方のクセがG代までと同じことからも、G代までと同じにおいを感じる。

K/L・昭和56/57年度

 ようやくまともな続き番号になった。42と49の避け方は今までと同じだが、700番台に突入したところが異なる。700番台は昔の名残でワンマン専用車ということになっていたが、昭和47年度のわずか4両しか存在せず、それも昭和53年には除籍されたため、空き番台になっていたのを有効活用したのだろう。これで番号は734まで進んだ。

M・昭和58年度

 735からではなく、もう一度111からのスタートとなった。代の途中での一周を避けたのだろう。H代と同じく111なのは2階建てとして101~109を避けるためである。42と49の避け方は今までと同じ。

 M代と言えば[都01](渋谷駅~新橋駅)の開業とともに入った都市新バス車であるが、一般車の間に挟まるように200~232の番号が与えられた。ここで注目したいのは、途中の番号とはいえども201ではなく200からのスタートとなった点である。久しぶりの00スタートだが、何か心変わりでもあったのか、それともこの部分は担当者が別になったのやら?

 この「200番台都市新バス」は、しばらくの間、付番に影響を与えることになる。

N・昭和59年度

 M代は327までだったが、N代は350からのスタートとなった。ここはF代とG代の関係と同じだが、351からではないところに少しばかりの違いを感じることができる。細かいところだと、498の次が501になっていて、ここだけ間が空いているのが面白い。(後年、ここには貸切転用車が改番してできた499が押し込まれた)

 また、この年度から中型車が導入され始めた。ミニバスが廃止された後の空いていた800番台を使うことになったが、ここの始まりは801ではなく800であるのが今までとの違いである。

P・昭和60年度

 一般車は514の続きで515からのスタートとなったが、昭和61年3月開業の[都02](大塚駅~錦糸町駅)用の都市新バス車は一般車とは全く異なる250~が与えられた。M代に続き、都市新バスは200番台を使うことにするという意思が見える。

 中型車も多く導入され、871まで進んだ。ここでも42, 49は番台ごと避けられ、W-P841の次はF-P851まで飛んでいる。ここでは51スタートに戻っているが、それは一般車も同様で、K-P535の次はL-P551である。年度ごとに50と51は一定しないようだ。その割に、なぜ都市新バスは250から始めたのやら。

R・昭和61年度

 一般車は完全に続き番で、順当。ちなみにM-R641の次がV-R650なのに、V-R737の次がT-R751とポリシーが違っているのはどうかという気もする。

 都市新バス[都01]の増便に伴い増車がなされたが、番号はM232の続き番である233~が振られた。都市新バスは完全に独立した扱いがなされており、今の一般車と都市新バスの区別がなくなったご時勢とは大違いである。

とりあえず今回はこのへんまで。

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