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早稲田営業所青梅支所
営業所のデータ
住所 |
〒198-0089 青梅市森下町554/〒207-0031 東大和市奈良橋773-4(大和操車所) |
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0428-23-0288 |
交通機関 |
バス:青梅車庫(梅70・74・76・77・出入庫) 鉄道: [JR]青梅 |
基本配置 |
日野 |
合成音声機 |
クラリオン(第一期) |
次停留所機 |
クラリオン(運賃表示機を含む) |
配置車輌数 |
30輌(平成15年10月現在) |
営業所の年表
S24. 8. 7 |
堀之内営業所青梅支所が開所 |
S32. 4 |
敷地拡張 |
S35. 2. 1 |
大和操車所を開設 |
現在の所管系統
系統番号 |
枝番 |
起点〜主たる経由地〜終点 |
運転日 |
備考 |
梅01 |
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青梅駅〜畑中3〜吉野〜玉堂美術館 |
土休 |
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出入 |
青梅駅〜青梅車庫(青梅出入) |
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梅70 |
甲 |
青梅車庫〜青梅駅〜三ツ木〜大和操車所〜新小平駅〜柳沢駅 |
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折 |
青梅車庫〜青梅駅〜三ツ木〜大和操車所〜東大和市駅 |
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折 |
青梅車庫←青梅駅←三ツ木←大和操車所 |
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折 |
大和操車所〜新小平駅〜昭和病院〜柳沢駅 |
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乙 |
青梅車庫〜青梅駅〜三ツ木〜大和操車所〜新小平駅〜小平駅 |
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折 |
大和操車所→新小平駅→小平駅 |
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丙 |
箱根ヶ崎駅〜三ツ木〜大和操車所〜新小平駅〜小平駅 |
平土 |
折 |
箱根ヶ崎駅〜三ツ木〜大和操車所〜東大和市駅 |
平土 |
梅74 |
甲 |
裏宿町※9〜柳川〜岩井堂〜成木市民センター〜柳川〜裏宿町※9 |
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折 |
裏宿町※9〜柳川〜岩井堂 |
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折 |
青梅車庫←青梅駅←柳川←岩井堂←成木市民センター←黒沢 |
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乙 |
河辺駅北口〜柳川〜岩井堂〜成木市民センター〜柳川〜河辺駅北口 |
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丙 |
河辺駅北口〜柳川〜岩井堂〜成木市民センター〜柳川〜裏宿町※9 |
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丙 |
河辺駅北口〜柳川〜成木市民センター〜岩井堂〜柳川〜裏宿町※9 |
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梅76 |
甲 |
裏宿町※9〜柳川〜北小曾木〜成木市民センター〜上成木 |
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折 |
裏宿町※9〜柳川〜成木市民センター〜上成木 |
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乙 |
河辺駅北口〜柳川〜北小曾木〜成木市民センター〜上成木 |
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折 |
河辺駅北口〜柳川〜成木市民センター〜上成木 |
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丙 |
青梅駅〜畑中3〜吉野梅林〜吉野 |
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出入 |
青梅駅〜青梅車庫〜裏宿町(青梅出入) |
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梅77 |
甲 |
裏宿町※9〜東青梅〜JA西東京〜河辺駅北口 |
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甲折 |
河辺駅北口〜東青梅3〜JA西東京〜河辺駅北口 |
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乙 |
青梅駅〜駒木町〜万年橋〜青梅駅 |
土休→ |
丙 |
東青梅駅〜駒木町〜万年橋〜青梅駅 |
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丁 |
青梅駅〜東青梅駅〜河辺駅南口 |
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出入 |
青梅駅〜青梅車庫〜裏宿町(青梅出入) |
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梅78 |
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蜆沢〜佐藤塚〜上成木〜成木市民センター〜成木小学校 |
平※33 |
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※9 青梅駅・青梅車庫始発終着を含む ※33 休校日は運休
歴代所管系統
系統番号 |
所管時の運行区間 |
所管開始日 |
所管終了日 |
所管終了後 |
→ |
青梅〜荻窪駅 |
S24. 8. 7 |
運転中 |
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→ |
青梅〜成木村役場 |
S26. 9.23 |
運転中 |
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上成木〜吉野 |
S50. 4. 7 |
運転中 |
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青梅〜河辺駅北口 |
S50. 8. 1 |
運転中 |
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青梅駅〜玉堂美術館 |
H 2. 7.22 |
運転中 |
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成木小学校〜蜆沢 |
H 8. 4. 4 |
運転中 |
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特徴
青梅市内を縦横に走るほか、青梅街道を走り抜けることで有名な東京都内最長路線[梅70]を所管している。青梅市内といっても広く、北側は埼玉県名栗村に近い上成木、西側は御嶽駅入口といっても差し支えない玉堂美術館まで路線を延ばしている。ターミナルとしては、青梅駅・河辺駅の2駅がある。なお、道路の都合上、唯一埼玉県内を走るのが特徴でもある。
営業所の歴史
青梅は、23区内の営業所とは一味違う。中乗り前降りの整理券方式だったり方向幕がオール黒地だったり、みんくるガイドから無視されているのも違うところだが、成り立ちも特異である。戦後すぐの昭和24年に、多摩地域の振興政策により東京の郊外と23区を結ぶ路線を担当する路線として八王子支所と同時期に開設された支所が青梅支所であり、当時の担当系統は[301](荻窪駅〜青梅)ただ一つだけであった。各バス会社のエリアを貫通して、一本の路線として運行したところに意義があるのだろう。開設時は敷地も畑に砂利を入れた程度で雨が降ればすぐ泥沼と化し、車輌も木炭車での運行であったために1日無故障で運行するのは難しかったようで、苦労が偲ばれる。
当時、青梅市内は西武と西東京が天下を握っていたのだが、その中でも昭和26年には[303](青梅〜成木村役場(現・成木市民センター))が単独路線として開通している。この時期はまだ成木近辺にはバス路線がなかったようだ(西武が青梅から上成木まで運行を始めたのが昭和32年)が、なぜ都営の運行となったのかは興味深い。
その後20年ほどはこの2系統で安定していた。中心部は都区内からの移転で宅地化が進み成績が上昇し、昭和46年度には開所初の新車X代21輌が配置されたものの、奥地は過疎化によるバス離れが進み、昭和40年代後半から西武バスの廃止撤退が相次いだ。昭和50年4月には吉野・上成木に向かう便も廃止されることになり、都営バスが[梅70]のワンマン化によって得た余力で代替運行することになった。これが今の[梅76]である。数ヶ月後には青梅駅と東青梅駅を結ぶ[梅77]も代替路線として運行を開始した。しかし都営バスの運行でも大赤字の状態には変わりなく、路線存続を目的として、昭和59年からは青梅支所の各線において、自治体からの公的負担が開始された。関係市町村からの補助を受けるため、[梅70]は6市町(青梅・瑞穂・小平・武蔵村山・東大和・西東京)が負担している。
都営バスファンに衝撃が走ったのが、この公共負担と同時に起こった [梅70]の短縮である。田無町〜荻窪〜阿佐ヶ谷の区間が廃止され、かろうじて杉並区役所でつながっていた青梅支所の路線網は孤立してしまった。現在でも、阿佐ヶ谷駅前の路線図には[梅70]がシールで隠された状態になっている。
もっとも、青梅市内は路線拡充が進み、平成2年には観光路線的性格の [梅01]が、平成8年には小学校の統廃合で[梅78]が、平成11年には西東京バスの廃止代替で[梅77丁]などが開通しており、今までに廃止・移管路線がない稀有な営業所(支所)となっている。今後も民営各社の肩代わりが続くのか、注目である。