Page 286 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼立73系統 日野橋交差点 02/5/11(土) 3:11 ┣Re:立73系統 月夜野はねお 02/5/11(土) 6:08 ┣Re:立73系統 エコツムリ 02/5/11(土) 19:16 ┣Re:立73系統 NOBO 02/5/11(土) 19:49 ┃ ┣Re:立73系統 日野橋交差点 02/5/11(土) 22:51 ┃ ┗Re:立73系統 のっぺ 02/5/12(日) 18:55 ┃ ┗Re:立73系統 東71 02/6/1(土) 20:03 ┃ ┣Re:立73系統 エコツムリ 02/6/1(土) 21:04 ┃ ┗Re:立73系統 PLせつな 02/6/5(水) 12:04 ┃ ┗Re:立73系統 目黒新橋 02/6/6(木) 19:35 ┣Re:立73系統 新宿侍 02/5/11(土) 23:01 ┃ ┗八王子支所の車両数など 目黒新橋 02/5/13(月) 14:11 ┗Re:立73系統 PLせつな 02/5/12(日) 22:49 ┗Re:立73系統 目黒新橋 02/5/13(月) 12:19 ┗Re:立73系統 月夜野はねお 02/5/13(月) 17:49 ┗料金の支払方法 裏宿七兵衛 02/5/14(火) 20:13 ┗料金の支払方法変更日 目黒新橋 02/5/15(水) 18:09 ┗Re:料金の支払方法変更日 PLせつな 02/5/16(木) 3:18 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 立73系統 ■名前 : 日野橋交差点 ■日付 : 02/5/11(土) 3:11 -------------------------------------------------------------------------
はじめまして。こちらへは初めて書き込みさせていただきます。 1985年まで立73立川駅−八王子駅という系統があったと思うのですが、 これについてです。 使用車両はいすゞBUと末期にはいすゞLRもあったと記憶しているのですが 正しいのでしょうか。最後までBUはいたのでしょうか。 また、日野止まりの系統のほかに折り返し便や入出庫便はなかったのでしょうか。 京王は運賃の表示を運賃箱前の電幕のようなもので表示していましたが都バスは どこにしていたのでしょうか。 当時、4,5歳だった私はよく美濃部カラーの都バスの前扉上部のアナログ時計を見ては普段乗っていた立川バスや西武バスと違って「なぜ運賃表がないんだろ?」 と思っていました。乗車したこともあるとは思うのですが覚えていません。 質問ばかりで申し訳ありませんが当時をご存知の方教えてください。 よろしくお願いします。 |
私も直接この系統を知らず、 いくつか疑問点がありますので、 便乗質問させていただきます。 昭和60年12月15日に廃止になっておりますが、 京王との共管はいつまで行われていたのでしょうか? 昭和47年の短縮時に立川〜八王子の本線は都営単独になったようですが、 立川〜日野の折返系統は最後まで共管だったという情報もあり、 正確なところが不明です。 また、八王子駅北口〜八王子車庫の出入庫は、 営業していたのでしょうか? 運賃多区間制ですが、前乗り中降り先払いの時期もあったようで、 運賃表示がなかったのはそれだと思うのですが、 廃止までそうだったのでしょうか? それとも、後払いの時期もあったのでしょうか? 便乗の上、質問ばかりで恐縮ですが、 もしご存知の方がいらっしゃいましたら、 ご教示のほど、よろしくお願いいたします。 |
私は路線自体は知っていましたが最後まで乗れないで廃止されました。 ただ覚えているのは、立73系統で末期使われていた中型車が 「たしか昭和59年に入れてすぐに廃止になったので」 小滝橋に回されて使われていたぐらいですね |
私の家の墓が日野にある関係で、幼少の頃から、[立73]を見ていましたが、 乗車体験は、晩年の昭和60年1月頃、日野駅〜立川駅北口に一度だけです。 >使用車両はいすゞBUと末期にはいすゞLRもあったと記憶しているのですが >正しいのでしょうか。最後までBUはいたのでしょうか。 >当時、4,5歳だった私はよく美濃部カラーの都バス 私は車両に関して無知なのですが、私が乗車したときの「いすゞの中型車」を 記憶しています。 「美濃部カラーの都バス」とは、いすゞの旧Z代のことと思われますが、 ワンマン化されたとき(短縮時?)に全て旧Z代になり、晩年は、中型車の運用 だったように思います。 >昭和47年の短縮時に立川〜八王子の本線は都営単独になったようですが、 >立川〜日野の折返系統は最後まで共管だったという情報もあり、 >正確なところが不明です。 昔の「都バスガイドブック」を見ると、日野橋南詰〜立川駅北口は、 京王[立63](高幡不動駅〜立川駅北口)と、共通定期券の取扱いをしていた ようです。 >運賃多区間制ですが、前乗り中降り先払いの時期もあったようで、 >運賃表示がなかったのはそれだと思うのですが、 >廃止までそうだったのでしょうか? >それとも、後払いの時期もあったのでしょうか? 私が乗車したときは、「前乗り中降り先払い」でした。 整理券方式は、導入されていないと思いますが...? 充分なお役に立てず、申し訳ありません。 |
こんばんは。皆さんレスありがとうございます。 やはり晩年はいすゞLR(中型車)が入っていたようですね。 廃止後は小滝橋へ行ったのですか。てっきり私は新宿へ行ったと思い込んで いました。BU(Z代車)は入れ替えで廃車されてしまったのでしょうか。 後部の「弁当箱型方向幕」が懐かしいです。 乗車方式についてですが、立川地域では西武バスを除いては立川、京王、都営共 に前のり行先申告方式でした。昭和55年頃立川バスが整理券方式になりましたが、 京王帝都はバスカードが導入されるまで八王子営業所管内を除いて行先申告方式 でした。恐らく都営もそれにならって最後まで整理券方式は導入されていないと 思われます。 京王帝都との路線共管についてですが、日野駅までは間違いなく京王も立73として 都営が存在している頃から走っていました。 但しそれがいつからなのかがわかりません。昭和56年には立63との共通定期券 制度しかないとなると、昭和56年以降に京王帝都による立73の運行が開始された のかもしれません。 近年まで日野橋南詰〜日野警察署前あたりの停留所には「京王帝都/都バス」と 明記されていましたから。(現在は「KEIO」表記になってしまいました。) それから日野駅からは京王帝都と西東京が同じルートの八王子駅行を走らせていますから(西東京の運行は現在ないですが・・・)それらとの共通定期などがあって もおかしくないと思いますが、どうなのでしょうか。 |
>私が乗車したときは、「前乗り中降り先払い」でした。 >整理券方式は、導入されていないと思いますが...? 青梅に行った際、運転手さんから聞いたのですが、昔は前乗り中降り先払いだったのらしいのですが、申告した以上に乗る不届き者が居たらしく、現在の後払いになったそうです。最初に導入したのが西武で最後に都営が導入したのでS60〜63ぐらいに導入したと聞きました。 なので八王子支所のころは運賃後払い制はまだだったと思います。 |
はじめまして、さて立73の運賃支払方法ですが、私の記憶によると美濃部カラーの頃は前乗り前払いでした、昭和50年代中ごろ(今から20年位前ですね・・・)に乗車したことがあります。確か停留所に運賃がしっかり書いてあってその運賃を支払ったと思います。 八王子営業所廃止後の中型車には小滝橋に転属後に乗ったことがあります。この時の記憶によると整理券発行機がおいてあったと思われる台や、運賃表示機が設置してあったと思われる跡が存在していました。 以上古い記憶だけを頼りに書き込み致しました。記憶違いなどあるかもしれませんがその節はご容赦ください。 そういってみれば、かなり前には都区内の都バスにも運賃を2区に別けた系統が存在したと記憶しています。 |
都区内でも運賃を2つに分けていたのは、 民営バスと並行する路線で特に東武バスと国際興業などより 都営は10円高かったときは、区間によって民間とあわせていた時代がありました。 現在では逆ですが東98系統の東急便みたいな感じです。 もちろんこれは申告方式でしたね...... |
確か、昭和50年代の前半までは23区内は均一ではなく、長い系統は2区またがり (昭和40年代などは多区間だったはず)だった記憶があります。 今出先なので、帰ったら運賃の資料を確認してみることにします。 |
>確か、昭和50年代の前半までは23区内は均一ではなく、長い系統は2区またがり >(昭和40年代などは多区間だったはず)だった記憶があります。 昭和40年代まで存在した地帯制という運賃制度のことでしょうか。 |
はじめまして。 私は残念ながら廃止されてから、この系統を知りました。 系統そのものはよくわかりませんが、 車両についてはわかる範囲で以下に記します。 晩年に配置されたいすゞLR(N807〜813)は、 本所であった新宿営業所(当時)に転籍して、 後に当時小滝橋にいたM111〜117と交換という形で再移籍しています。 推測ですが、小滝橋への移籍時期は東71(現・高71)が 高田馬場駅始発に変更された頃ではないかと思われます。 (その頃小滝橋にR代中型車が新製配置されています) それといすゞBU(懐かしい…)ですが、いすゞLRがわずか7台だった ことからすると、最後まで在籍したものと思われます。 ただ系統廃止(八王子支所閉所)と共に廃車になったのでしょう。 バスジャパン創刊号を紛失したのは大きな痛手です…。 |
「鉄道ファン 1985年1月号」106頁に、 都営バス営業所別配置車両数の表があります。表には統計時期の 記載がないので、想像になりますが、1984年春に導入した 八王子支所のN代中型車の台数が含まれているので、 この表は1984年前半時点の統計だと思われます。 この表によれば、八王子支所には一般乗合車両が10台、うち 7台が冷房車。特定用途車両が10台の合計20台の配置です。 冷房車は新宿侍さんが書かれたいすゞLR312J(N807〜813)になります。 残り3台は引き続き美濃部カラーのBU05が配置されていたのでしょう。 なお、都営バス全体では、一般路線用が1911台(うち冷房車が848台)、 特定用が83台、貸切が24台の合計2018台です。 特定用は江東を除く全ての営業所・支所に配属されていましたが、 6台以上の配属は、11台の杉並・10台の八王子・千住の8台だけです。 自分が八王子支所を見に行ったときにも感じましたが、特定用 (スクールバス)が多い車庫という印象を持ちました。 都営バスエリアからは飛び地である八王子支所が、一般路線を長らく 1系統だけを担当し続けていたのはスクールバスの運行目的が 大きな割合を占めていたことも影響あるのかなとも思いました。 ところで、「鉄道ファン」になぜ、都バスの配置車両数表が?となるのですが、 当時連載記事で国内各地の路面電車の現状を紹介する記事の最後に、 周辺のバス会社も紹介する囲み記事があったのです。 1985年1月号では都電が紹介され、バス紹介は都営バスとなりました。 そんなわけで、この囲み記事中に配置車両数表も掲載されたのです。 バス写真はカラーで1984年導入の2台紹介されています。 1台は渋谷のグリーンシャトル、もう1台は八王子支所の いすゞLR312J X-N811(多摩22 か28-63)です。 前面窓下にサボ受けがあります。(ただしサボは挿してありません) 前扉横に「ワンマン入口」・中扉横に「出口」のサボが挿してありますので、 中型車も前乗り申告制先払い中扉降りであったとみられます。 前面幕には 立73 八王子駅北口 側面幕には、左から 八王子駅北口←石川入口←日野駅←野球場←市役所←立川駅北口 と読めます。(ただし、野球場はちょっと自信ないです、すみません) 「バスジャパン創刊号」(1986.7.1発行)では、巻頭特集が都バス全線走破 なのですが、チャレンジ初日が1986年1月2日ということで、惜しいことに 廃止済みの立73は対象外です。現有車両カタログでは、いすゞ車はZ代は すでに廃車済みで紹介されませんでした。N807〜N813は新宿所属で 紹介されています。(同書42頁) 紹介文 「昭和59年、乗客の少ない八王子支所の立73用に導入した 車両であるが、同系統が廃止されたため新宿車庫へ転属した。一時 秋76に使用されていたが、現在では、四80に専用されている」 とありますが、写真は秋76 飯田橋表示で新宿車庫を出庫する様子です。 「バスジャパン第2号」(1986.10.1発行)掲載の都営バス現有車両カタログ 観光バス・スクールバス編では、営業所記号がXのスクールバスが10台 紹介されています。 またまた長文で失礼しました。 |
はじめまして。 この掲示板でも立73の話題が出るのは、はじめてかもしれません。 飛び地のように存在していた系統なので、あまり深く研究し切れていないのですが 分かる範囲で…… 廃止直前のデータ(昭和60年末)では、以下のようになっています。 [本]八王子駅北口〜立川駅北口/11.600km 平・土・休とも28回 [折]日野駅〜立川駅北口/4.950km 平・土・休とも28回 [出入]八王子駅北口〜明神町〜八王子車庫 ?回 所要時間 31分〜48分 時刻 八王子駅北口発6:05〜19:28、立川駅北口発7:09(立川止6:45)〜21:03 営業係数 163 (参考:系統別データ集s61.1.1版、都バスガイドブック'82〜'85) 明神町のそばに八王子車庫があり、独自の出入庫を運行していたようです。 月夜野さん: >昭和60年12月15日に廃止になっておりますが、 >京王との共管はいつまで行われていたのでしょうか? この本には、「折り返しの立川駅北口〜日野駅線のみ京王バスも数本担当している。」 という記述があります。'85年あたりのバス・ルートあんないか、立川市などの年報を 探る必要があるかもしれません。 共通定期券は最後まで日野橋南詰〜立川駅北口(京王)としか都バスガイドブックには 記載されていませんでした(S60版まで確認)。これ以上詳しいことは当時の東京都公報 を見て探るしかないと思います。 あまりお役に立てませんでしたが、とりあえずこんなところで…… |
こちらに書き込むのはかなり久しぶりです。立73につきまして、 自分がパラパラと東京都内乗合バス・ルートあんないを見た範囲で書いてみます。 結論から言いますと、立73が都営・京王共管だったという記載が見つかりません。 立73廃止当時のバス同好会系の会報には、 「立川―日野間は京王バス立73が代替、他は在来系統で肩代わりする。 これにより新宿営業所八王子支所は特定のみの営業所となる。」とありました。 自分はこれを読んで、都営が廃止されたので、京王が立川―日野だけを立73として 引き継いだものと理解しました。新車を入れたばかりなのに…と思ったものです。 自分が見たバス路線図は 1976.10現在 1979.1現在 以上「バスルートマップ」 (財)運輸経済研究センター 1980.9現在 1982.8現在 1984.2現在 1986.4発行 1987.8発行 1989.8発行 以上 「東京都内乗合バスルートあんない」 社団法人 東京バス協会 1.都営の立73が廃止されるまでの状況 立川駅―日野橋南詰間は、京王の立63立川駅―高幡不動駅が並走しています。 日野橋南詰から先の仲田・日野警察署前両バス停は立73のみが通過、 路線図上からは、この区間だけ都営バス立73の単独区間となります。 →立川駅北口―日野駅を京王帝都も担当していたかどうかは、 上記の路線図からでは明らかになりません。 日野駅―八王子駅北口は京王帝都の日50が同経路を並走しています。 日野駅から2つ目の日野台からは他の京王路線も並走。 2.都営の立73の廃止後の状況 立73が立川駅北口―日野駅に短縮され、担当が京王帝都に変更された形に なっています。立73が走らなくなった日野駅―八王子駅北口は、従来から 京王帝都で運行している日50が引き続き担当していました。 1982.8現在版から立川駅北口バス乗り場案内図に運行間隔が、八王子駅北口 バス乗り場案内図には運行回数が掲載されます。 1982.8版と1984.2版での立川駅北口案内図 朝 昼 夕 始発 終発 会社 八王子駅北口行 10-36 14-43 23-30 7:03 21:30 都営 日野駅行 10-25 12-14 14-33 6:45 20:49 都営 八王子駅北口案内図 回数 始発 終発 会社 立川駅北口・日野駅行 70回 6:10 19:28 都営 日50 日野駅行 102回 6:10 21:50 京王 1986.4発行版、都営の立73は廃止された後の立川駅北口案内図 始発 終発 日野駅行 運行回数15回 7:21 20:19 京王 八王子駅北口案内図は立73が削除されただけで、日50に変更なしです。 1989.8発行版では立73が10回とさらに減便、日50は104回と増加しています。 運転間隔や運行本数の記載はどこまで信用してよいのやらという気もしますが、 掲載第一号の1982.3版は信頼性が高いと思います。 自分は1982.8に八王子駅から立川まで立73の乗車体験があります。 当時の時刻表は覚えていません。本数は多くはなかったという記憶はありますが、 廃止直前の28回という少なさではなかったと思います。 八王子支所付近で1台見送ってから、八王子駅まで徒歩移動後しばらく待って 乗車できていますから、20分〜30分位で次の便が出発していたと思います。 なお、1979年発刊の「京王帝都30年史」のバス路線図(といっても個々の 系統が記載されずエリアがわかるだけの単純化されたもの)では、京王帝都も 立73にあたる区間全線にバス路線の記載があります。同書には路線表がない ため、推測でしか語れないのですが、路線免許は継続して所有してきたといって いいでしょう。マイナー系統が存在していた可能性もあります。 長々と書かかせていただきました。 新車を入れたばかりということでノーマークになっており、廃止直前に 行けなかったのは残念でした。 |
皆さん、いろいろと情報ありがとうございます。 昭和61年の同人誌、都バス系統別データ集は参照しました。 実は、ここに八王子駅北口〜八王子車庫という記載があったので、 ホントかいな?と思って訊いてみたわけです。 これ以外に営業出入庫の状況が読み取れるものが無いので…。 八王子支所は最後まで信用制先払いだったようですね。 青梅が以前先払いだった、というのは聞いたことがありますが、 時期までは知りませんでした。 手元にある資料として、 何号かヌケがあるルートあんないと 交通局40年史〜70年史はざっと当たってみましたが、 解決する記述は見られませんでした。 京王の社史等に当たってみようとは思っております。 今後も皆様からの情報をお待ちしております。 |
確か、青梅管内が最初に冷房つき中型車を入れた頃(N代・P代=昭和59・60年)に料金の支払方法が変わっているものと思われます。このHPの路線資料館の梅70の項目には、 「昭和59年4月1日 田無本町2〜阿佐ヶ谷駅を短縮」 とありますから、おそらくこの時期でしょう。 ただ、(これは私の推測なのですが)青梅に入ったN代7台は当初前払い方式で使われ、翌年P代21台が入るのを待って整理券式に改造されたのではないかと思います。N代のバスを当初から整理券方式で使うのなら在来のバスが整理券式に改造されていてもおかしくはないんですが、そういう話は聞きませんものね。 (参考文献:BJハンドブック第1巻 東京都交通局) |
青梅地区の運賃支払いが前乗り先払い方式から後乗り後払い方式に 変更したのは、1985年8月1日です。 東京都交通局80年史年表 704頁に記載あります。 その直前の1985年6月19日に、 青梅地域でバス路線でフリー乗降開始 多摩地域で定期券の車内予約発売開始 が実施されています。 |
目黒新橋さん、月夜野さん、裏宿七兵衛さん: 詳細なフォローありがとうございました。こういった長文も大歓迎です。 ……で、結局ルートあんないには痕跡が見つからなかったのですね。 それでも、あの本(系統別ガイド)は交通局から資料協力を受けていることを 考えるとデータの信憑性は高いものと思われます。 また、こういった隠れ出入庫まで記載するような性格の本が当時は他に存在 しなかったというのも、他の証拠が見つからない理由でしょうね。 ちなみに昭和40年の乗降客量調査表を見たら、新宿駅〜立川駅〜八王子駅通しが 19回(都営17回・京王2回?)、途中折り返しはなし。 昭和44年現在では、通しが19回(都営17回・京王2回)、八王子駅〜立川駅が 8回(回数内訳不明)となっていました。 京王はこの時からお義理的な運行を続けていたのでしょうか……。 実際は、当時を知る人に尋ねるしかなさそうです。 |