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@昭和44年投入分のV代・すなわち富士重ボディ車の昭和45年2月投入車はバス窓が廃止された車が新宿(都電廃止用)・江戸川に配属されませんでしたか?
A巣鴨には昭和43年6月美濃部カラーのR代が18両投入されましたが配置局番はR477(都バス70年史に小さな写真で載っていた)以外に配置番号は?
B大塚には富士重ボディのW代が10台あったのでは?
C昭和42年末のN代が配置された営業所は?
D新宿・深川にBU05Dが投入された年度は?
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X−X670
- 07/6/29(金) 22:08 -
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▼道ちゃんさんへ
ほんの一部だけですが一応わかる部分について解答いたします。
A小滝橋のR代の配置番号は・・・「都バス 東京旅情編」で早大正門バス停を扱ったタイトルがあり、非常口側であるが確かE−R452と見られる車両があり、さらに絵本でE−R452が絵であるがほぼ正確に描写されている。(但し非常口が中央にありBU06低床と同一の感じであった)
BR代の投入時期は(初期投入が美濃部カラーが制定された1968年4〜5月か?・・・資料で確認したところ導入は6月となっているのでおそらく4月にはなかったかもしれない。
C練馬2う15-20は練馬営業所のR代・練馬2う15-19は滝野川のBU05Dもしくは練馬の4R94のうちどちらですか?・・・練馬2う15−20の車両番号はFーR632(余談だがバスコレクションの第2弾の車両と同じナンバー)
DRS代の合計で188台のBU05Dが都電・トロリーバスの廃止も手伝って大量投入されましたが配置局番と配置営業所をご存知のかたがいらっしゃいましたらご一報お願いいたしますか?・・・57年の現行塗装移行時にテスト塗装された車両のみですがS−S406/408が深川所属となっていますのでおそらく例外のS407も深川ではないかと思います。
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▼ねこまたさん・P-X683さん・PLせつなさんへ:
>▼道ちゃんさん:
>
>御礼の連絡を忘れてしまい誠に申し訳ありませんでした。私も気付いたことばかりを質問していき何故御礼ができなかったといわれますと質問の回答を得た方々の返信方法がわからなかったからです。今回回答の御礼をしなかった件に関しては十分お詫びをいたしております。
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▼ねこまたさん・P-X683さん・PLせつなさんへ
>御礼の連絡を忘れてしまい誠に申し訳ありませんでした。私も気付いたことばかりを質問していき何故御礼ができなかったといわれますと質問の回答を得た方々の返信方法がわからなかったからです。今回回答の御礼をしなかった件に関しては十分お詫びをいたしております。
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▼P-X683さま:
こんにちは。お返事遅くなり恐縮です。
>N405,406大塚→江戸川、N412大塚→新宿
この3台については、当方も同じように記録してあります。
>N401,403新宿→小滝橋の記録がありますが如何でしょうか?
これは全くノーチェックでした。富士重のN代BAで小滝橋に移った車があったのですね。
>また小滝橋の富士重車は少ないと思いますが、この他に富士重車の小滝橋へ
>転属した例はありますでしょうか?
近年のUD車以外で当方に記録があるのは
T461・462(G→Y→E)
T463(?→E)/小滝橋にやってくる前には出会ったことがなく、前歴不詳。
多分、T461・462と同じであろうと推測はしているのですが。
V480・481(C→E)
以上の5台となっています。転属時期は昭和54年前後としかわかりません。
この頃が、唯一の新造配置車C557〜559を含め「小滝橋の富士重」が一番多かった時期
だったように思います。
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P-X683
- 07/7/6(金) 1:15 -
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ねこまたさん
こんばんわ、返答有り難う御座います。
>T463(?→E)/小滝橋にやってくる前には出会ったことがなく、前歴不詳。
>多分、T461・462と同じであろうと推測はしているのですが。
T463も大塚→志村→小滝橋と転属と記録しています。
いずれにしても、小滝橋の富士車は希少という事ですね
それでは
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▼X−X670さま:
道ちゃんさま
初代R代に関して把握していることをまとめて記します。何分にも、中学・高校生時代に「足で収集」したものですので、未判明の事項も少なからずあることをご理解ください。
@新製配置時の局番と車種
E-R401〜417,N-R418〜441,E-R451〜466,P-R467〜480,G-R484〜487,R-R488〜504
以上BU05D(川崎)
※R481〜483は未確認。多分大塚に配置されていたのだとは思います。
D-R511〜532,M-R533〜535
以上RE100(帝国)
H-R551〜568,K-R570〜580,T-R581〜605
以上MR410(三菱)
※R569は未確認。多分、千住とは思います。
T-R606〜629
以上MR410(呉羽)
F-R631〜637
以上4R94(富士重)
F-R651〜655,Y-R656・657,L-R658〜667
以上4R94(北村)
※R658・659は練馬ナンバーで登場しており(のち、足立2い31**に再登録)、江東に配置される前の短期間、志村あたりにいた可能性もありますが詳細不明。
E-R668〜699
以上BU05D(川崎)
※以前の書き込みで『R代後期』と記したのはこのロットのことです。
AE-R668〜699の側面方向幕の位置について。
確かこのロットから第二窓に設置位置が変更されたと記憶しておりますが、何分にも「薄れつつある記憶」です。写真資料などの確証となるものも、どうも見あたりません。どなたか、フォローいただければ幸いです。
なお、一応その前提に立った上で、S代で最初に登場したS-S400〜415(405まで川崎/406から富士重)の16台とこの32台は同一の発注ロットだったのだろう、と思ってもいます。R・S代の中で、S400〜だけが「0」からの付番となっていることの説明にもなりますし。
B登場時期
地元の江戸川・江東については昭和43年6月下旬の登場でした(7/6にR-R490、7/12にL-R664に乗車しています)。全都的には、練馬2う14**をつけた小滝橋のE-R401〜のロットあたりが第一陣ではなかったかと思いますが、やはり6月にはなっていたと思います。
当時の朝日新聞に、美濃部都知事と落成したばかりの新塗装バスがならんで写っている記事が掲載されたことを覚えていますので、そちらの「セン」を調べるともう少しはっきりするかもしれませんね。
ひとまず、今回はここまでで。
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<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; MSOCD; AtHomeJP191; SV1; Al...@61-26-157-53.rev.home.ne.jp>
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P-X683
- 07/7/25(水) 0:53 -
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ねこまたさん
X−X670さま:
道ちゃんさま
こんばんわ、
>@新製配置時の局番と車種
>※R481〜483は未確認。多分大塚に配置されていたのだとは思います。
新製配置を確認したわけでありませんが、昭和46〜7年頃は、P-R481,P-R482,G-R483の配置で、P,Gとも書換えの跡(塗装更新前時点)が無かったので、新製配置もこの配置だと思います。
>※R569は未確認。多分、千住とは思います。
これも、新製配置を確認したわけでありませんが、昭和49頃は千住でした。
>AE-R668〜699の側面方向幕の位置について。
>確かこのロットから第二窓に設置位置が変更されたと記憶しておりますが、
小生の記憶でも、このロットから第二窓に設置位置が変更されたと記憶しておりますが、写真資料が無く証拠提示ができません。
それと側面方向幕だけでなく、入口扉付近の、「ワンマン入口」、出口付近の「ワンマン出口」表示が、楕円小窓の字幕表示から、楕円小窓の乳白色固定文字盤表示に変わったのも、この頃だったと思います。
また、S代初期ロットのこの表示は楕円小窓でしたが、この後のN-S489-517,C-S527-533とT代のBU50車のみ、楕円でなく、長方形の乳白色固定文字盤表示だったと思います。同時期の富士重工、帝国、三菱車やV代以後のBU50車は楕円小窓でした。
何か追加情報が有ればお願いします。
>B登場時期
>地元の江戸川・江東については昭和43年6月下旬の登場でした。
交通局60年史P353記載の、「43年6月20日からアイボリーブルーとスカイブルーの2色塗りに化粧替えして」と書いてあるこの日が登場時期でないでしょうか。
宜しくお願いします。
▼ねこまたさん:
>▼X−X670さま:
> 道ちゃんさま
>
>初代R代に関して把握していることをまとめて記します。何分にも、中学・高校生時代に「足で収集」したものですので、未判明の事項も少なからずあることをご理解ください。
>
>@新製配置時の局番と車種
>E-R401〜417,N-R418〜441,E-R451〜466,P-R467〜480,G-R484〜487,R-R488〜504
>以上BU05D(川崎)
>※R481〜483は未確認。多分大塚に配置されていたのだとは思います。
>
>D-R511〜532,M-R533〜535
>以上RE100(帝国)
>
>H-R551〜568,K-R570〜580,T-R581〜605
>以上MR410(三菱)
>※R569は未確認。多分、千住とは思います。
>T-R606〜629
>以上MR410(呉羽)
>
>F-R631〜637
>以上4R94(富士重)
>F-R651〜655,Y-R656・657,L-R658〜667
>以上4R94(北村)
>※R658・659は練馬ナンバーで登場しており(のち、足立2い31**に再登録)、江東に配置される前の短期間、志村あたりにいた可能性もありますが詳細不明。
>
>E-R668〜699
>以上BU05D(川崎)
>※以前の書き込みで『R代後期』と記したのはこのロットのことです。
>
>AE-R668〜699の側面方向幕の位置について。
>確かこのロットから第二窓に設置位置が変更されたと記憶しておりますが、何分にも「薄れつつある記憶」です。写真資料などの確証となるものも、どうも見あたりません。どなたか、フォローいただければ幸いです。
>
>なお、一応その前提に立った上で、S代で最初に登場したS-S400〜415(405まで川崎/406から富士重)の16台とこの32台は同一の発注ロットだったのだろう、と思ってもいます。R・S代の中で、S400〜だけが「0」からの付番となっていることの説明にもなりますし。
>
>B登場時期
>地元の江戸川・江東については昭和43年6月下旬の登場でした(7/6にR-R490、7/12にL-R664に乗車しています)。全都的には、練馬2う14**をつけた小滝橋のE-R401〜のロットあたりが第一陣ではなかったかと思いますが、やはり6月にはなっていたと思います。
>当時の朝日新聞に、美濃部都知事と落成したばかりの新塗装バスがならんで写っている記事が掲載されたことを覚えていますので、そちらの「セン」を調べるともう少しはっきりするかもしれませんね。
>
>ひとまず、今回はここまでで。
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<Mozilla/5.0 (Windows; U; Win95; ja-JP; rv:1.0.1) Gecko/20020823 Netscape/7.0@ntceast013136.east.dup.ppp.infoweb.ne.jp>
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