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【15856】城南のN代(「昭和40年代の都バス」の続き)
 PLせつな E-MAIL  - 11/1/7(金) 1:45 -

引用なし
   今更ながらですが、[#9256]等のツリーを見返していて……

研究が5年経って進んでほぼ答えが出たので、答え合わせも品川・目黒・渋谷等の初代都電代替バス車こと昭和42年代の車のデータをおさらいしようかと思います。
(今でも当時の方が見られているかは分かりませんが、当時色々と勉強になったため、恩返しもかねて書き込みます。)

昭和40年代後半で、以下の車のような配置になっていました。
品川
N464〜468 日野(富士)RB10 品川2う938〜940, 1978, 1979
N469〜473 日野(帝国)RB10 品川2う928〜932
N515〜541 日野(富士)RB10 品川2う1007〜1033
N643〜645 日野(帝国)RE100 品川2う1060〜1062

目黒
N474〜478 日野(帝国)RB10 品川2う933〜937
N550〜591 日野(帝国)RB10 品川2う950〜991
N650〜657 日野(帝国)RE100 品川2う1064〜1070

渋谷
N592〜611 三菱(三菱)MR480 品川2う941〜948, 992〜1004
N612〜617 三菱(呉羽)MR480 品川2う1080〜1086

※612〜617は昭和43年1月入籍、400代は42年11月入籍、それ以外は12月入籍

N467,468は登場時は練馬2う1111,1112でした。当初の計画から変更されてしまったようで、後にナンバーを付け替えています。
N614〜617は当初は杉並配置だった噂の車ですが、詳細な動きははまだ不明なところも多くあります…。

−−
その後ですが、
・品川

昭和52年12月の改編で目黒からの転属を多数受け入れた結果N代は53輌と一大勢力となります。

その後、昭和53年9月にN550の先行除籍を皮切りに、昭和54年1月にF代後期車7輌の入籍と杉並からのX487〜493転入で11輌除籍(このときは僅かに純増だったようです)、昭和54年は12月に古参のR代9輌が杉並から転入しますが、[東90](東京駅〜丸子橋)の短縮、[東91](東京駅北口〜品川車庫)・[東94](東京駅八重洲口〜池上駅)の廃止で純減となりN代21輌が除籍。

この時点でもN代は23輌残っていましたが、昭和55年春にG代後期車の14輌入籍(G492〜507)と杉並からのT・V・Y代10輌の受け入れ+葛西の主だったZ代のうち4輌を受け入れることで計30輌の入りとなり、残るN代全車とR代の半数、あわせて30輌が除籍されました。昭和54年度は相当動きの激しい年だったことが分かります。

・目黒

N代が55輌と大量在籍していましたが、まず昭和52年12月の改編で品川に10輌、葛西に10輌の20輌が転出して純減となります。[東80](東京駅〜恵比寿駅)、[宿97](世田谷野沢〜新宿駅東口)の廃止があったためです。

昭和53年度にはF代の前後期が7輌ずつ入りましたが、N代12輌が除籍のほか、N587, 588, 591は品川に転属して全体として純減が続きます。といっても品川移籍の数か月後には除籍されてしまいましたが……。

この時点では20輌が残っていましたが、昭和54年度は12月の改編までに13輌が置き換えなしで純減除籍されました。[橋99](五反田駅〜新橋駅)廃止に伴うものと思われます。

その後、最後まで残ったN570,578,583,586は昭和55年4月のG代後期車の入籍で置き換えられて全廃されました。

・渋谷

上に挙げた26輌と、戸山(早稲田)の間で移動していたN622〜625が昭和52年12月に移動してきて末期は30輌体制になりました。

昭和54年3月のF代後期7輌入籍(F283〜289)からN代の除籍が始まり、このタイミングでは9輌、さらに早稲田から都電代替で大量に入っていたW代が6月〜7月に6輌転入してN代が10輌、さらに昭和54年12月の改編で[茶80](渋谷駅〜市ヶ谷駅〜御茶ノ水駅)、[東83](東京駅〜桜新町)といった廃止で8輌が除籍(同時に都電代替のS代もS451〜456が南千住に転出して純減)し、残るはN604,612,617だけとなりました。

残った3輌は他車庫の最期のタイミングと同じく、昭和55年4月のG代後期車(G457〜463)入籍で除籍されています。

いずれも最長で11年半しか生きておらず、昭和50年代前半の改編による純減の影響や、当時の置き換えサイクルが早かったことが感じられます。

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【15856】城南のN代(「昭和40年代の都バス」の続き) PLせつな 11/1/7(金) 1:45

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