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まず基礎データ関連ですが、最近色々と車両データにも手をつけておりまして
随時更新中でございます。ということで、車輌データ(仮)
http://pluto.pobox.ne.jp/bus/car
の下のほうにある年度別一覧をご覧ください。
滝野川と昭和町→北の合併移転は昭和55年4月です。
滝野川グループに入った最後の新車はG392〜398のいすゞ−富士重の7輌でした
(その後、北→今井→臨海と動くことになります)。
北になってから初の新車はH271〜277・306〜319のいすゞ−富士重計21輌が
一気に入りました。
滝野川には昭和43年度導入のR・S代を大量に投入(R418〜441、S489〜517の
53輌−いすゞ川重BU05D)していたので、これを置き換える意味もあったのかも
しれません。
で、H代に関する公式1次資料はないのですが、そこから引いた車両データに
よればH代は1回きりということになっていますし、また目黒新橋さんの
昭和56年3〜4月に228両を導入というのも心強い傍証になります。
ちなみに、このときの練馬ナンバーの区切りは以下の通りです。
練馬22か2720〜 H125〜130 杉並
練馬22か2731〜 H220〜226 小滝橋(1)
練馬22か2738〜 H271〜277 北(1)
練馬22か2747〜 H185〜192 早稲田(1)
練馬22か2779〜 H227〜233 小滝橋(2)
練馬22か2786〜 H306〜312 北(2)
練馬22か2800〜 H234〜240 小滝橋(3)
練馬22か2807〜 H250〜256 新宿
練馬22か2820〜 H192〜205 早稲田(2)
練馬22か2834〜 H292〜298 巣鴨(1)
練馬22か2841〜 H313〜319 北(3)
練馬22か2852〜 H299〜305 巣鴨(2)
北は、3回に分けて導入したのでしょうね。
今回のMやN代でも小分けの導入でしたが、全部まとめて1回導入でした。
で、北の番号が2つに分かれている理由ですが……
数字の番号が重複するかとも思ったのですが、当時300番前後の車は滝野川には
いなかったようですし、よく分かりません。志村はH代導入がないですが
H代の番号はメーカー別に分かれていたので、H271〜277はいすゞの番号と
なりますし。
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