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▼PLせつなさん:
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>ちなみに、千住の分車庫は、敷地にどのような形であったかご存知でしょうか。単純に、今の南千住の敷地と同じところを使っていただけでしょうか。(当時は都営アパートがなかったとは思いますが)
返信が遅くなり申し訳ありません。この一件は良く覚えていないのでウィキペディアで追っかけてみました。
まず、都電22番の廃止は昭和46(1971)年3月18日ということで、同系統の単独所管だった南千住電車営業所は、この日をもって廃止されたことになります。
そして、現在南千住自動車営業所の敷地に建つ都営住宅は、「都営南千住二丁目アパート」と称し、完成が昭和46年となっていました。
この昭和46年というのが曲者で、その先を調べることは出来ませんでしたが、
都電が現役のときには都営住宅は建っていなかったので、南千住電車営業所の廃止とともに完成したのか、最大9カ月近いブランクがあったかは私もわかりません。
ただ、千住自動車営業所南千住分車庫として使用され始めたころは、線路もきれいに無くなって電車営業所の敷地すべてがバスに車庫になっていたとお考えになってよろしいかと思います。
そして、南千住分車庫の事務所は昭和46年完成の都営アパートの1階にあったとお考えになってよろしいかと思います。
私の記憶でも、サイトの記録でもバスの車庫=都営住宅は完成しているという図式しか見当たりません。
ただ、禅問答のようですが、昭和46年は当然ながら12月31日まであります。 都電の廃止は3月18日です。この間に都営住宅が完成していたかどうか。そこが謎です。
なお。南千住電車営業所時代の事務所(乗務員詰所?)は木造だった記憶があります。
記憶があいまいなままでは申し訳ないので、ウィキぺディアの力を借りて見ましたが、私の記憶はここまでで限界です。 申し訳ありません。
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