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その後、昭和29年末に27系統が丸八通の北砂町五丁目(後の北砂七丁目)まで
延長され、昭和30年の元旦に北砂町四丁目停留所が増設されました。
ここでポイントなのは、現在と異なり、丸八通り上の停留所名が亀高橋とは
なっていない点です。なぜかやや離れた北砂町四丁目のほうを名乗りました。
その後、昭和31年6月に北砂町七丁目を増設して、この区間の停留所が
出そろいました。
さて、川沿いの[亀24]・[門21]の通る番所橋通りは、昭和30年代はまだ狭く
京葉道路から小名木川(番所橋)のところまでは未開通だったため
この区間のバスの便として、南側の葛西橋から路線を延ばすことに
なりました。それが26系統([秋26])で、(旧)葛西橋からそのまま
番所橋通りへと伸ばし、北砂町十丁目を終点とさせました。
これが昭和36年4月のことで、北砂町第七小学校、北砂町九丁目が
同時に新設されました。終点の北砂町十丁目は今でいう東砂二丁目のあたり
です(もしかしたらもう少し番所橋寄りかも)。
さらに、葛西橋西詰にも停車しました。
当時の橋への取り付け道路や、(旧)葛西橋停留所から140mという
短さを考えると、現在の[門21]の東砂六丁目北付近に両方向とも
あったのではと思われます。で、[秋26]が延伸されたときも
当然のようにここに停車したのではと考えます。
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