|
|
|
続きです。
いただいた記憶をもとに、描いてみました。
3.昭和50年頃〜昭和53年頃?
2.の状態がいつ頃解消されたかですが、これがよく分かりません。
誤植をなくした昭和50年4月版の都バスガイドブックによれば、「南砂五丁目」停留所は既になく、「境川」に全系統とも停まるようになっています。
昭和52年の「バスルートマップ 東京」の停留所図によれば、交差点の北・南・西側にそれぞれ2箇所ずつ、計6箇所のポールがあったように書いてあります。本当なんでしょうか……
西側は[秋26]、北側は[草28][亀29]、南側は[錦14]が使ったのでしょうか?
とりあえず、図はその通りに書いてあります。
4.昭和53年頃〜
境川停留所が現在の形(停留所4箇所)になります。
昭和56年の冊子式都バスガイドブックでは、境川の停留所として既に現在と同じ位置に描かれています。
タイミングですが、新宿線の開業と新葛西橋への改称の昭和53年と、あとは境川操車所の開業の昭和54年辺りが怪しそうですね。
※そういえば、昭和45年頃までは、[26]秋葉原駅〜境川という折返があったようですが、操車所がない時代にどのようにして折り返していたのかが気になります。
【0906_sakaigawa_3.png : 24.1KB】
【0906_sakaigawa_4.png : 24.0KB】
|
|
1,865 hits
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.10) Gecko/2009042316 Fir...@118x236x228x20.ap118.gyao.ne.jp>
|