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続いてホームグラウンドの東急エリアです。
●反42…五反田駅〜大橋〜三軒茶屋〜世田谷区役所入口〜駒沢〜等々力(東急)
「大橋線」と呼称されていた線。山手通りを走る渋41の続き番号になっていた。
大橋〜駒沢間はわざわざ世田谷通りを経由していることや、また
渋谷駅のすぐ近くを通りながら無視しているのも面白いが、それが仇に
なったのか昭和49年5月に廃止。
●渋01…渋谷駅〜三軒茶屋(東急)
●渋02…渋谷駅〜三軒茶屋〜上馬〜桜新町〜用賀折返所(東急)
短命というにはあまりにも有名なトップナンバー。玉電の廃止時に代行バスと
してスタートし、多数の乗客を運んだ。鉄道代行だったために運行時間帯も
長く、[渋01]の渋谷駅は始発5:00、終発0:23で、大混雑のために
朝夕のノンストップ便や渋谷駅〜三宿、渋谷駅〜池尻というのも運行され
これだけで1日300回弱の運行を誇った。昭和52年4月の新玉川線開通時に廃止。
●園05…田園調布駅〜八雲三丁目〜駒沢大学駅(東急)
現在も健在の[渋11]渋谷駅〜田園調布駅の折り返し線として?昭和54年3月に
開通するも、昭和57年6月にはさっさと廃止される。新玉川線に乗り換えさせよう
ということだったのが、三茶・渋谷方面への強い直通指向に破れたと
見るべきなのだろうか。
●蒲02…蒲田駅〜矢口渡〜下丸子駅南口〜小杉駅(東急)
蒲田駅からガス橋を渡り、小杉駅へと向かっていた。蒲田駅からは[蒲12]蒲田駅〜
田園調布駅と同じように進み、環八を直進し、道なりに進んでam/pmのある下丸子
交差点を左折(ここが下丸子駅南口というのは遠すぎる気もする)して
ガス橋を渡っていた。昭和49年ごろに廃止。
これ以外にも昭和46年ごろまでは蒲田駅〜日吉駅という路線が存在したが、
系統番号がつく前に川崎駅発着に変更されて[川54]川崎駅〜日吉駅となり、
さらに近年短縮されて日吉駅〜越路というミニ路線となっている。
また、下丸子近くには下丸子折返所が存在し、ここ発着で川崎駅へと向かう
路線が昭和53年まであったが、都区内の付番時にはつけられなかった。
その後の川崎市内付番時のときは不明。
●玉09…二子玉川園駅〜美術館(ノンストップ)(東急)
●用01…用賀駅〜美術館(東急)
昭和61年3月の世田谷美術館開館に伴いできた系統。しかし、東急コーチの
開通までのつなぎだったため、1年後の昭和62年3月には[玉09]が、3年後の
平成元年4月には[用01]が廃止された。[玉09]の細かいルートは不明であるが
瀬田を経由していたのだろうか?
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