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いくつかPLせつなさんの書き込みで個人的に疑問点が生じたので、調べた上で書き込もうと思っていたら随分遅くなってしまいました。
東京都公文書館所蔵の資料の中に自動車課長名での通達が残っています。私が確認したところでは、
昭和22年7月13日 自達甲第一九号 バス運転系統一部増設の件
16日付で以下の系統を新設
[16] 錦糸町駅〜境川〜葛西橋〜新田〜浦安(10.562km、江東)
[107]例外 東京駅〜浅草橋〜錦糸堀〜東小松川(11.233km、江東)
昭和22年7月30日 自達甲第二二号 バス運転系統一部増設の件
8月5日付で以下の系統を新設
[26] 浅草〜浅草橋〜浜町中ノ橋〜清澄町〜境川(6.688km、新谷町)
[27] 門前仲町〜袖ヶ浦(4.938km、江東)
昭和22年8月25日 自達甲第三一号 バス運転系統一部変更の件
9月1日付で以下の通りに変更
[100] 洗足池〜五反田駅〜品川駅〜銀座〜東京駅(13.206km)
[103] 駒沢〜渋谷駅〜材木町〜虎ノ門〜日比谷〜東京駅(13.476km)
昭和22年8月28日 自達甲第三十一号の二 自達甲第三十一号通達追加の件
[103]の変更実施を都合により数日延期
昭和22年9月10日 自達甲第三三号 バス運転系統一部延長の件
11日付で以下の通りに延長
[104]大山〜東京駅(13.429km)を常盤台駅〜東京駅(15.529km)に延長
昭和22年9月15日 バス運転系統一部経由地変更の件
15日付で以下の通りに変更
[23]浅草〜駒形橋〜厩橋一〜(春日通り)〜横川三〜錦糸町駅を浅草〜駒形橋〜吾妻橋二〜押上〜錦糸町駅(3.528km、新谷町)
[26]浅草〜浅草橋〜浜町中ノ橋〜清澄町〜境川を国際通り経由から雷門・駒形二・江戸通り経由に(7.671km、新谷町)
[28]浅草〜駒形橋〜石原一〜太平三〜亀戸四〜亀戸駅を雷門・吾妻橋経由に(5.205km、新谷町)
また公文書館では原本を見つけられなかったのですが、「北区史」(資料編 現代2)の中に昭和22年5月13日付の自達甲第九号の二 バス運転系統一部増設の件が掲載されており、
[8]王子〜三ノ輪〜浅草 (8.472km、大塚)
[25]亀戸駅通〜東京駅 (7.208km、江東)
が15日に新設される旨が記載されています。
[16](2代目)については、どうも22年7月にようやく開設されたようです。5月13日付の自達甲第九号の二では[15]錦糸町駅〜三角、[17]錦糸町駅〜新田、[22]新小岩駅〜今井、[25]亀戸駅通〜東京駅が江東所管の系統として出ていますが、[16]の記載はありません。15系統については7月13日付の自達甲第一九号でも錦糸町駅〜三角と紹介されており、この時点では浦安橋まで伸びていなかったようです。但し、当時の新聞に(7月)16日から錦糸町駅〜三角を錦糸町駅〜浦安に延長、20日に錦糸町駅〜新田を錦糸町駅〜浦安に延長という記述もあり、この通達が出た後に変更された可能性もあります。
なお、以前の投稿には書きませんでしたが、東京都公報の21年3月15日都告示102号でバスの運行系統に関する告示がなされており、
15 錦糸町駅〜大島七丁目
16 亀戸〜三角
となっていて、やはり三角行きは当初16系統であったようです。後の動きを考えると逆の方がしっくりくるのですが・・・。
次に[28]浅草〜亀戸ですが、当時の新聞によれば昭和22年9月1日に浅草〜亀戸を新設と掲載されており、これがこの[28]のことではないかと思います。この時点では蔵前橋通りの都電(16系統)は運転しておらず(23年12月15日に再開)、その代行も兼ねての運行であったかと思います。もっとも23年度の事業概要には記載はなく、22年度内に廃止になったようです。
26系統は浅草〜洲崎となった23年7月の事業概況でも新谷町所管で、おそらく洲崎が復活するまで新谷町所管だったのでしょう。23年7月の事業概況についている図を見る限りでは洲崎から今の木場駅前を右折、三ツ目通りを北上、白河町で清洲橋通りに入るという経路であったかと思います。大門通りには75系統(→錦13)で初めてバス路線が出来た事を考えると、大門通り経由の可能性はかなり低そうです。
[3]東京駅〜新宿駅は当時の新聞記事に[102]荻窪〜新宿駅東口〜東京駅南口を新設、[3]東京駅〜新宿駅を廃止との記述を見た記憶があります。廃止したといっても、丸の内線もなく、都電の配車も十分とはいえない時代ですから、18系統などのの出入庫便として運行したかも知れません。(時代は下りますが、昭和35年の乗客交通調査では出入庫系統として東京駅〜新宿車庫がわざわざ別掲されています。)
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