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ねこまたさん
X−X670さま:
道ちゃんさま
こんばんわ、
>@新製配置時の局番と車種
>※R481〜483は未確認。多分大塚に配置されていたのだとは思います。
新製配置を確認したわけでありませんが、昭和46〜7年頃は、P-R481,P-R482,G-R483の配置で、P,Gとも書換えの跡(塗装更新前時点)が無かったので、新製配置もこの配置だと思います。
>※R569は未確認。多分、千住とは思います。
これも、新製配置を確認したわけでありませんが、昭和49頃は千住でした。
>AE-R668〜699の側面方向幕の位置について。
>確かこのロットから第二窓に設置位置が変更されたと記憶しておりますが、
小生の記憶でも、このロットから第二窓に設置位置が変更されたと記憶しておりますが、写真資料が無く証拠提示ができません。
それと側面方向幕だけでなく、入口扉付近の、「ワンマン入口」、出口付近の「ワンマン出口」表示が、楕円小窓の字幕表示から、楕円小窓の乳白色固定文字盤表示に変わったのも、この頃だったと思います。
また、S代初期ロットのこの表示は楕円小窓でしたが、この後のN-S489-517,C-S527-533とT代のBU50車のみ、楕円でなく、長方形の乳白色固定文字盤表示だったと思います。同時期の富士重工、帝国、三菱車やV代以後のBU50車は楕円小窓でした。
何か追加情報が有ればお願いします。
>B登場時期
>地元の江戸川・江東については昭和43年6月下旬の登場でした。
交通局60年史P353記載の、「43年6月20日からアイボリーブルーとスカイブルーの2色塗りに化粧替えして」と書いてあるこの日が登場時期でないでしょうか。
宜しくお願いします。
▼ねこまたさん:
>▼X−X670さま:
> 道ちゃんさま
>
>初代R代に関して把握していることをまとめて記します。何分にも、中学・高校生時代に「足で収集」したものですので、未判明の事項も少なからずあることをご理解ください。
>
>@新製配置時の局番と車種
>E-R401〜417,N-R418〜441,E-R451〜466,P-R467〜480,G-R484〜487,R-R488〜504
>以上BU05D(川崎)
>※R481〜483は未確認。多分大塚に配置されていたのだとは思います。
>
>D-R511〜532,M-R533〜535
>以上RE100(帝国)
>
>H-R551〜568,K-R570〜580,T-R581〜605
>以上MR410(三菱)
>※R569は未確認。多分、千住とは思います。
>T-R606〜629
>以上MR410(呉羽)
>
>F-R631〜637
>以上4R94(富士重)
>F-R651〜655,Y-R656・657,L-R658〜667
>以上4R94(北村)
>※R658・659は練馬ナンバーで登場しており(のち、足立2い31**に再登録)、江東に配置される前の短期間、志村あたりにいた可能性もありますが詳細不明。
>
>E-R668〜699
>以上BU05D(川崎)
>※以前の書き込みで『R代後期』と記したのはこのロットのことです。
>
>AE-R668〜699の側面方向幕の位置について。
>確かこのロットから第二窓に設置位置が変更されたと記憶しておりますが、何分にも「薄れつつある記憶」です。写真資料などの確証となるものも、どうも見あたりません。どなたか、フォローいただければ幸いです。
>
>なお、一応その前提に立った上で、S代で最初に登場したS-S400〜415(405まで川崎/406から富士重)の16台とこの32台は同一の発注ロットだったのだろう、と思ってもいます。R・S代の中で、S400〜だけが「0」からの付番となっていることの説明にもなりますし。
>
>B登場時期
>地元の江戸川・江東については昭和43年6月下旬の登場でした(7/6にR-R490、7/12にL-R664に乗車しています)。全都的には、練馬2う14**をつけた小滝橋のE-R401〜のロットあたりが第一陣ではなかったかと思いますが、やはり6月にはなっていたと思います。
>当時の朝日新聞に、美濃部都知事と落成したばかりの新塗装バスがならんで写っている記事が掲載されたことを覚えていますので、そちらの「セン」を調べるともう少しはっきりするかもしれませんね。
>
>ひとまず、今回はここまでで。
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