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▼PLせつな様:
ご回答ありがとうございます。
>もともと、東京都交通局は昭和18年までは東京市電気局と名乗っていたことからも分かる通り、東京市(=現在の東京23区)を営業エリアとする公営企業でした。それが、太平洋戦争中の統制強化により、交通調整という名目で会社ごとにエリアを厳格に分けることとして、現在の赤羽〜池袋〜渋谷〜品川より東側、という区分けが固まります。
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>さらに、昭和18年に東京は都制を施行し、東京市という存在が消えてしまったために一段階上の東京都交通局と名乗ることになりました。これも首都東京の統制強化を狙ったものと言われています。他の政令指定都市であれば、〜〜市〜〜区となるところですが、東京23区(当時は35区)は〜〜区だけの住所、というのはこのときから始まりました。
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>このため、名前は東京都交通局ですが、エリア等の面では、実質的には東京23区交通局という存在であったものと思います。そのため、23区より外側のエリアについては積極的に路線を拡張することはなかったのではないかと。(戦後の民営各社との相互乗り入れ路線については、あくまで民営と手を組んだから出来たことだと思います)
確かに、都バス以外でも、地下鉄も日暮里・舎人ライナーも都電も、ほぼ全てが23区内ですね。そうすれば、「東京23区交通局」には島しょにバスを走らせる計画はないといえますね。交通局の路線(地下鉄やバスなど)が大体23区内におさまっているのには、恥ずかしい事ながら、あまり気づいていませんでした(多摩地域は特殊なので除きます)。
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