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こんにちは。
昭和60年代くらいの質問になります。
晴海埠頭の折り返し方ですが、どのように折り返していたかをご存知の方はいるでしょうか。
まず、国土地理院の航空写真から昭和59年と平成元年現在を示します。
昭和59年は、旧客船ターミナルの南西にバスの置場があるように見えます。
ここが操車所だったとすると、降車バス停は手前の客船ターミナルの目の前で下ろしていたことになりますが、それで正しいでしょうか。
また、乗車バス停はどこにあったでしょうか。
ここから5年後の平成元年では色々と変わっています。
一部当時の住宅地図(昭和62-63年)を参考にしましたが、既に平成元年では新ターミナルの建設が始まっているようで、地図と若干違いそうな部分が見られます。
今の客船ターミナルの位置の一角に操車場が設けられていて、操車場の建物が脇にあるようです。この位置関係はまず正しいでしょうか。
また、降車専用とバス停は住宅地図によれば図の位置にあったことになっていますが、これも正しいでしょうか。
その時点では旧操車場は使っていなかったということで正しい?
新ターミナルの開業に伴う経路変更が平成3年のはずですから、この時点ではかなり新ターミナルに向けて掘り返しているようで、バスの操車場がこの位置にあったのかちょっと謎です。
また、旧操車場から新操車場へいつ切り替わったのかが謎です。昭和61-62年頃、ということになるのでしょうか。
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