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こんにちは。
僕もちょうど次に出す本がその部分にあたりまして、ただいま勉強中の身なので
怪しいところがあるかもしれませんが、まとめてみます。
>@なぜW〜Zには後幕がないのでしょうか?
>CV代以前の後幕に「都営バス」とあるが、行先として使っているのでしょうか?
細かく言うと、W568〜577(杉並配置)とZ564〜577(渋谷配置)は
背面幕がついていたようですね。
ワンマン化に伴う運転手の労力削減のためです。
このときの方向幕は連動しておらず、また手動で回す必要があったため
(昭和45年度−W代から前面は電動化)運転士の労力が大きいということになって
背面は「都営バス」の固定表示になっていましたが、大量に新車導入を
続ける中でコストダウンということもあったのでしょうか、この時期は
背面幕そのものが廃止されてしまいました。また、背面不要論として
「駆け込み乗車を誘発する」というのが言われていましたが、今から考えると
信じられないですね。
(ツーマンのときは背面も動かしていたんでしょうか?)
>A弁当箱の取り付けは、いつ頃ですか?(新製時は、なかったらしい)
ちょっとこれはどこかに資料があったはずなのですが見つからないのでパス。
>BS35に初登場した前向きシートはK〜Zにもあるのでしょうか?
このへんはよくわかっていません。三方シート(ロングシート)が標準と
なったのは昭和41年度(M代)からですが、少なくとも昭和40、41年度車は
三方シートとそうでないものが混在していたようです。また、昭和47年度の
試験導入であるZ代ハイブリッド電気バス、また昭和46年度に初試験導入と
なったY代低床バス(いすゞ、日野)も前向きシートだったようです。
>DXが入る前の青梅はどんな車両でしたか?
ツーマン車22両で運行していました。新車ではなかったようで、多分
杉並のお下がりを使用していたと思うのですが、資料はありません。
>E渋谷のZには後幕(上)があるのですが・・・
渋谷のZ代は、昭和48年3月と他のZ代に比べても最も遅い時期に
導入されたためです。同じ年度でも前期後期で仕様が違うのは結構ありますね。
>FS57の色彩懇談会に出た岡本太郎画伯の「一反木綿もどき」の局番をご存知の方、出来ればお願いします。(これは実際に見た人でないと無理かも・・・)
当サイトのプレイバック・都営バス>奇抜な塗装 をごらんください。
ナンバーから逆算すれば、多分S-S403(昭和43年度導入)だと思います。
>GXの登場はいつ?(ある情報ではS45、ある資料ではS46)
当サイトの車両データ>車番のいろは をごらんください。
昭和46年度です。
>H中扉の右下に小さく書かれた2ケタの数字は何?
それは写真でも見たことがありません。どのあたりにあるものでしょうか。
>I川重B代に手書き文字の幕は存在したのでしょうか?
側面系統番号を囲む枠線がなく、文字も丸ゴシックではなくどちらかというと
手書きの風味がするものでしょうか? 大塚BC代にあったと伺ったことは
ありますが……
>J北村車が在籍する営業所は?
北村車は、(昭和43年度)R651〜659、(44年度)T577〜593,605〜609,V400〜402、
(45年度)W645〜648の計46両がいました。練馬・志村・江東・今井の
日産ディーゼル指定配置の営業所全てに散らばっていました。ただし、
最後の北村車となった江東配置分のL-W645〜648は葛西営業所新設時(昭和47年
10月)と思われますが、そのときに葛西に移転し、おしまいのほうにはさらに
今井に移転して昭和57年度末で(?)一生を終えました。
以上です〜。
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