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こんにちは。
>中扉まで前向きシートのタイプ(セミクロス?)もその三方シートに
>含まれるのでしょうか?
>含まれないとしたら品川、目黒ではM代、N代前半はセミクロスでした。
>
>N代は、
>品川2う928〜937 日野、帝国 セミクロス 目黒(T代投入時半分が品川に転属)
>品川2う938〜939 日野、富士重 セミクロス 品川
>品川2う940〜949 三菱、三菱 三方シート 渋谷
>品川2う950〜991 日野、帝国 三方シート 目黒(田町分車庫)
>品川2う992〜1004 三菱、三菱 三方シート 渋谷
>その後に日野、富士重 ロング 品川が続きます。
>
>ということで、境目は939と940となります。局番については申し訳ありませんが
>忘れました。
まず昭和42年度の車の入り方から……以下のようになっていたようです。
N400〜415 いすゞ(富士)BA20
N416〜436 いすゞ(川重)BA20
N450〜463 いすゞ(川重)BU05D
N464〜468 日野(富士)RB10
N469〜478 日野(帝国)RB10
N479〜494 三菱(三菱)MR480
N495〜514 日デ(富士)4R94
N515〜541 日野(富士)RB10←都電代替
N550〜591 日野(帝国)RB10←都電代替
N592〜611 三菱(三菱)MR480←都電代替
N612〜638 三菱(呉羽)MR480
N650〜662 日野(帝国)RE100
N663〜683 日デ(富士)4R94
P401〜428 いすゞ(富士)BU05D←都電代替
P451〜499 いすゞ(川重)BU05D←都電代替
いすゞのBU05、日野のRE100は型式が新しいので少なくとも後期に導入された
ことが明らかです。それにしてもヘンな並び順です。
さて、おっしゃる件ですが
>品川2う928〜937 日野、帝国 セミクロス 目黒(T代投入時半分が品川に転属)
この条件にあてはまるのはN469〜473(品川)、474〜478(目黒)です。
>品川2う938〜939 日野、富士重 セミクロス 品川
N464〜468のいずれかと思います。
>品川2う940〜949 三菱、三菱 三方シート 渋谷
実際は942、949は欠番なので8両だと考えます。これより、N592〜611のうち8両
>品川2う950〜991 日野、帝国 三方シート 目黒(田町分車庫)
これが前おっしゃっていた「田町分車庫」配属分ですね。
これはN550〜591で決まりでしょう。下2桁が揃っているのは偶然?
>品川2う992〜1004 三菱、三菱 三方シート 渋谷
N592〜611のうち13両。……あれ、1両合いません。
そのほか、N612〜617(呉羽)も渋谷にいたようですが新製時からいたのかは
分かりません。
>その後に日野、富士重 ロング 品川が続きます。
都電代替で入ったと思われるN515〜541がまだ残っていますので、それですね。
すなわち、都電代替分として昭和42年12月に入ったのが品川2う940〜の部分と
思われます。輸送力確保のために三方シートにしたのではないかと思います。
あとは品川ナンバーで確定しないのは、品川のN464〜468(富士)と
目黒のN650〜657(帝国)です。N658〜662は杉並分のはずなので……
過去の田町分車庫のときにおっしゃっていた
>品川2う10-62〜10-64
が終わりのほうの導入のN650代にあたりそうですね。
>その他、特異車として、
>練馬2う1111〜1112 日野、富士重 セミクロス 目黒
>が前期に投入されております。杉並に投入予定であったのでしょうか。
面白い処置をした車があったのですね。先にナンバーだけやはり割り当てて
あったので、このようなことが起こったのでしょうか……しかもそのまま数年
走ったというのも面白いです。
これも、該当しそうな車はN464〜468しかありません。
[#9224]のご発言について:
>当方、517系統でP代(いすゞ)を見た記憶が全く無いのですが。
>記憶が定かではないのですが、言えることは535系統スタート時は(多分)全てが
>いすゞ+川重またはいすゞ+富士重のP代新車であったの対し、517系統では
>既存のいすゞ車混在で新車は日産デのN代であったことです。
>見間違えは無いです。当時の日産デは2灯式であり、いすゞ+富士重の4灯式とは
>顔つきが全く異なっておりましたから。
そうすると、大塚のN代はまず代替用として日デが入籍したのですね。
上の表のうちもN495〜514は江東(→一部葛西に転属)の分のはずであり、
該当する車はN663〜683しかありません。その数21両です。
なお、昭和45年度末の簡易配置表では志村を除き1営業所1メーカーだったので
それ以前に転属したことになります。
また、代替と思っていた大塚にいたP代(いすゞ川重)は、P479〜499の
21両。数はぴったり同じですね。
なお、巣鴨の代替用は、富士のP401〜428、川重のP451〜478の計56両が配置されて
運行にあたっていたようなので、こちらはご記憶の通りと思います。
ということで、合理的な説明を考えようとするなら、
1.代替用としてN代日デが21両配置される
2.P代いすゞが21両配置される
3.N代日デが練馬に転属
という順番になるのでしょうが……このN代や517系統について、時期などほかの
ご記憶はありますでしょうか?
>当時は他にも法則崩れがありましたが、長くなりますので別途機会がありま
>したら述べさせて頂きます。
ワン・ツーマン兼用車導入以降は法則を守っていると思っていたので
結構驚いております。よろしければ、この件についてはぜひお伺いしたいと
思います。
p.s.
>飛び番はあったような無かったような。当時、目黒の車両の登録番号は殆ど全て
>記憶していたのですがね。さすがに月日が経ちすぎました。
それでも凄いですね。
参考までに、目黒配置だったと思われる車を出しておきます。
全て日野−帝国(日野車体)です。もしかしたら元杉並車がまじっている
かもしれません。
RB10 M591〜M597(→品川転属)、N474〜478、N550〜591
RE100 N650〜657、R533〜535、S534〜540、T666〜693、V543〜545、W470〜476
Z423〜424
Z431〜437(→昭和56年頃葛西から転属)
A586(→昭和51年頃品川に転属)
B461〜466(→昭和50年代前半に品川に転属)
C401〜414(→一部が品川・杉並に転属)
E531〜537
F208〜214、F258〜264……
車体の装備の件に関しては、また後ほどお返事いたします。
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