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初めまして。
「都心循環線」の構想、確かに存在しました。昭和50年代の都営交通再建の
最初の案(昭和51年秋)に出てきた路線で、おっしゃる通りの循環線を
新設するというものです。これだけならば便利になるかもというものですが、
実はこれと同時にそれより内側に入る長大路線は原則としてカット、
また相互乗り入れ路線は原則として全廃、1つの通りに複数の系統を走らせない
というかなり原理主義的な計画でした。
詳しくは
http://pluto.pobox.ne.jp/toshin_loop.gif
をご覧ください。
色文字の停留所は鉄道連絡を示します。合計29の停留所で、東京駅八重洲口発着の
循環線を形成しますが、停留所が29箇所ということでそのまま当時の停留所に
あてはめると1つ少なくなるので、銀座の停留所を統合する計画だったの
ではないかと思います。あと当時だと「市ヶ谷見附」「四谷駅西口」停留所も
経路上に存在しましたが、それらは無停車のようですね。
同時実施予定の短縮・廃止系統を見ると分かりますが、とにかくメッタ切りです。
[草63][草64]すら短縮、[王78][学06][四92]も廃止というのは今から考えると
けっこう恐ろしい計画です。国鉄赤字線廃止と似た面もありますが……
ただ、このときのこの計画が都心循環線関連だけでも実施されていたとしたら、
路線網は相当に違ったものになっていたのでしょうね。
結局、この計画はなくなり、昭和52年12月の再編成では明らかな赤字路線のみを
切捨て、以後昭和53年・54年・57年と段階的に実施していきました。
「1つの通りに系統1本に集約化」というのはこれらの改編で中途半端に
実施されて残りはそのままとなり、今の路線網が存在するわけです。
ただ、路線がなくなるだけで、残った路線の経路変更がほとんどなされなかったと
いうのは今ひとつ謎でした。
日の丸が走らせる丸ノ内シャトルやメトロリンクなど、局地的にこの志を継ぐ
路線はありますが、地下鉄や鉄道とこれらとの乗り換えがしやすいかと言うと
厳しいですね。既存の停留所は使えていないですし、不便なところもあります。
あとはルートだけで言えば、千代田区のコミュニティバス「風ぐるま」が割と
いい感じなのですが、いかんせん扱いが福祉タクシー級なので一般人には
使いにくいです。
移動には地下鉄を乗り継げ、というのはなかなか変わらないのでしょうね。
新宿線・東西線・半蔵門線と、東西を結ぶ路線と山手線との乗り換えが
直結していないというのが個人的には残念なところであります。
#ここで力尽きたので残りのツリーの返事はまた後で…
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