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先日志村線代替のL代のことで投稿した道ちゃんです。なぜシングルライトのL代を知ったのは図書館で「都バス東京旅情編」を見ていたら。最初のページのカラー写真で正面の局番札を提げたシングルライトの車が「L653」でした。昭和40年のL代は「都営バス車両全集」で「都電志村線の代替車のみの記号」を知ると「なるほど」と思いました。
次にいすゞBU05Dのことですが
@都バス東京旅情編をみていたら滝野川配置のS代(ナンバーは練馬2う17-??)
は推測からしてもS代と思う。またこのグループには川崎航空機ボデーも存在していた。(このグループの写真が都バス東京旅情編にあった)
A昭和45年のW代車はナンバープレートの番号が後述のX代車とリンクしているものもあるようだけれど全部で90台投入されましたがそのほとんどが営業所に格上げされた巣鴨、都電代替用に大塚に配置されたようですが、局番と配置営業所、導入時期を教えていただますが?
B巣鴨のP代の車は一部後年に江戸川・深川に転属されていきましたが?(やまひろ交通局・都バス東京旅情編の見て)
C志村のT・V代16両は昭和54年以降どこに流れましたか?
D後ろのテールランプが昭和45年以降は外側に寄っていますが、昭和43年の車両は取り付け用台座がなくやや内側に寄っているのではないか?
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