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赤羽駅付近のことを質問させてください。
赤羽駅東口の王57の乗車位置は、以前は、
国際興業の鳩ヶ谷方面の乗り場のある30メートル道路にありました。
その乗り場の手前の信号(現在王57が曲がっている交差点)よりも
さらに手前だったのですが、どこだったのかは、よくわからなくなってしまいました。
降車位置の記憶も全くないのですが、どこだったのでしょうか?
路線資料館を拝見すると、平成5年に距離が変わっていますが、
乗り場が変わったのはそのときでしょうか?
駅前の車道が塞がれたから?
みんくるガイドが違っているのは、以前の名残なのでしょうか?
路線資料館では、都電終点(現岩渕町)となっていますが、
都電終点は赤羽交差点を経て赤羽岩淵駅(現在は国際興業のみ)となり、
岩淵1が岩渕町になったのではないでしょうか。
赤羽2ができたのは、いつなでしょう?最近(南北線ができてから)?
王57誕生当時は、30メートル道路はまだ北本通りまで完成してなく、
岩淵中学校経由だったのではないでしょうか。
具体的に、どの道路だったのかはっきりしないのですが。
北本通り→赤羽駅は、赤羽交差点を通り現在の国際興業と同じように
線路際の一方通行の道を通っていたのでしょうか。
変更になったのはいつ?赤羽駅発と同じとき?
王53の存在は最近まで知らなかったのですが、
王53の経路変更は、王57とは違うときだったのですか。なぜだろう?
復路と同じショーカットに変更というのは、微妙な表現ですね。
途中停留所がないと言う意味ではそうだと思いますが、
同じ道路と言う意味では違っていたと思います。
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