|
PLせつなさん、返信ありがとうございます。
実を言うと、私はこの目で「竜泉」の幕を見たのは、PLせつなさんの添付して下さった幕と、里23系統時代の白地の「竜泉」幕の2回しかありません。
いずれも日暮里駅での幕回転中に見たのみです。しかし、私が中学生であった昭和47〜50年頃には竜泉に「降車専用」停留所があったのは事実です。
また、昭和50年の12月に車庫改称・移転の為、新谷町から南千住へ移動になったと資料館にはありますが、竜泉の「降車専用停留所」がいつ無くなったのかは申し訳ないのですが記憶にありません。
ですから里23系統として竜泉から入庫していたのは新谷町時代の昭和50年12月までだったのでしょうか。中学生当時(あまり関心がなかったせいもありますが)ただの一度も入庫便をみていないのです。ですから話はすべて私の「推測」で進んでしまった事になり、事実確認という点ではPLせつなさんにご迷惑をおかけした事になります。本当に申し訳ありません。
この先も「推測話」になりますが、下谷警察署からの入庫便が設定されたのはこの頃かもしれません。
車庫移転から半年〜1年位(これも事実はわかりません、すみません)竜泉の降車専用ダルマポールがありました(使用されていたかもハッキリしないのです)
降車専用だと、都営バスには到着時刻表など張ってありませんし、入庫車が増える夜間に行った事もないのです。
大人になってみて、関心を持つようになってみるともう「下谷警察署」の幕が頻頻繁にみられるようになって「あれ?」と言うのが真相です。
ですから、竜泉入庫は新谷町時代のみの話。南千住移転後は下谷警察入庫。
と言うのが真相ではないかと思います。
新谷町当時の入庫ルートは竜泉から回送となり、西浅草3丁目交差点で言問通りに右折し、入谷2丁目交差点を合羽橋道具街と反対方向に右折し、出庫はこの逆ルートとなっていました。〈営業開始停留所は不明です)
いつも調査不足のままメールしてしまいすみません。
ただ、南千住〈新谷町)の系統は昔から縁が深く、中途半端ながら他系統よりは
関心を持っていたこと。これは事実です。
昔の話ですが、522番(現、東42甲)は新谷町時代、出庫車は浅草3丁目から16番〈上46)のルートで営業出庫していました。これが楽しみだったものです。(ちなみに、この当時の16〈上46〉系統は泪橋停留所があったと記憶しています)位置は汐入方向は現在の位置。上野方向は東42より数メートル後ろ側だったと記憶しています。
11番〈草41)も新谷町時代は出庫は浅草寿町まで回送していたようですが、
足立方向からの入庫には入谷2丁目に降車専用停留所があった記憶があります。
ですから南千住持ち時代の「草41」は大型車が使用されていました。
逆に都電南千住営業所が存在し、完全に千住持ちだった12番〈現、里22)の出入庫は全くの謎でした。都電廃止後、すぐに跡地が千住営業所南千住分車庫になった記憶があり、その後の新谷町移転で分車庫が南千住営業所になったのです。
ちなみに、旧新谷町営業所跡地は小学校になっています。バスの出入口が正門ですので、昔を知る方は校舎を見ながら車庫の配置をイメージできるかと思います。
|
|