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▼とうこうしゃさん:
>決め事がありそうでないような不思議な世界、案外こんな風に曖昧なものなのかなぁと感じまして
局番が100番台に戻ってきたときのトップナンバーもその典型かと。一般用は100〜799といいながら、100番があるときとないときがあります(ありました?)。確か100〜399が解禁?になったのは先代のFが最初かと思いますが、このときは101からスタート。次に100番台に戻った先代Mも100番はなく、もしかすると111からのスタートかも。そしてS代に至って初めて局番100が出現したかと思います。新宿のC-S100(いすゞIKコーチ)がその車で、初めて見たときは当時の秋76の飯田橋終点まで追いかけて写した記憶があります。
あと話題の基D318の仲間、D321も目黒に在籍していた当時、確かこの車だけなぜか後部窓に貼られた局番が所属まで記された「M-D321」となっていました。さらに脱線してしまいますが、同じ旧目黒の港南所属A-A461の非公式側の表記もヘンです。
「A(品川)-A461」になっています。
>横ヤリを入れたみたいで恐縮ですが
いえいえ、そんなことはありません。今後ともよろしくお願いします。
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