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はじめまして。S57改編の特集、私も拝見しました。目黒新橋さんも書いておられますが、貴重な画像と丁寧なリサーチ、記録を残す貴重な作業に、まったく頭が下がります。「プレイバック」は、いつも楽しみに見ています。
当時私は親の転勤で一年間東京を留守にしてました。58年の4月に帰京したら、通学で使っていた「楽67」が「池67」に変わっていて驚いた記憶があります。結局、有楽町でどのように折り返していたのか、今日までわからずじまいです。交通会館の周りを一周していたのでしょうか?老母(72歳)によると、銀座通りと外堀通りの間の狭い道を池袋行きのバスが走っているのを見た記憶があるというのですが…。
老母といえば、今回の特集でも取り上げられている京王と乗り入れをしていた旧111系統の末裔系統ですが、杉並に住んでいた母親は若いころ(昭和20〜40年代)都心に出るときよく利用していたようです(羨ましい)。しかし、京王のバスが時刻どおりに来るのに対して都営車は決まって遅れてくるので、「都バスは(それぞれの停留所から)ひとりでも多くの客を乗せたいがためにわざと遅れて走らせているのではないか」という悪い噂が利用者の間で広がっていたとか。もしかするとこれはあまり適切な書き込みでないかもしれませんが(であればどうか削除願います)、しかし、こうしたいわば都バスにまつわる数々の「民間伝承」的エピソードも、そろそろどこかでまとめられるべきかもしれないと思ったりしています。「都電研究」の方面では、運転手さんから話を聞くなど、そうした動きが進んでいるようですね。
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