|
▼MrTさん、みなさんこんばんわ
>表題の通り、先代のG代(昭和54年度)第3期分に投入された冷房車について、
・こちらは、ねこまた、PL刹那さんの発言の通り、G台車は全車美濃部色で登場したと思います。
・小生が初めて黄赤色の都バスに遭遇したのは、昭和56年3月末の夜、バイト帰りに五反田駅のロータリーで東90の仕業についたA-H114でして、非常に強い衝撃を受けたことを記憶しています。(初め視界は行ったときは、どこか地方のバスが遠征してきたのか思いました)、該当G台車は、55年夏に大塚のG425,G426、巣鴨のG383,G384、志村のG513,G514を美濃部色で見ていましたので、黄赤色=冷房車と頭の中ですぐには閃きませんでした。
>美濃部色の画像や写真を掲載している資料等の情報
・申し訳ありませんが、小生も美濃部色G代冷房車の写真を取り損ねていますし、画像を掲載している資料が手元にありませんのでこちらの協力は出来ません。
ただ、黄赤色の登場が昭和56年春である事の確認できる、昭和56年(月日の記載が欠落していますが)の東京新聞の記事を添付します。 また、その記事に出てきます、「公共の色彩を考える会」の発足は、黄赤色都バスに対する抗議のために1981年春と有りますので、黄赤色はH代車からとして良いと思います。
http://www.sgcpp.jp/hp/outline/start.htm
・小生が美濃部色G代冷房車の写真を取り損ねた理由として、
@G代冷房車は、冷房車を幅広く宣伝するためか、多摩地区を除く全営業所に2台ずつ幅広く分散配置したため、普段遭遇し難かった。
A当時の都バス塗り替えは登場から6〜7年で行われており、上記の様に「黄赤色=冷房車」のイメージが無く、財政再建中の最中に僅か1年あまりで塗り替えられるとは思っていなかった。
B全体数が少ないので、塗り替えに気が付いた時には殆ど塗り替えが終了していた。
(56年5〜6月)には完了していたと思います。
今思えばとても悔しいですね
私的な事を長々と失礼しました。
【S560001.JPG : 301.3KB】
|
|