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#すみません、のりもの学会などのお返事はまた後で……
去年、月夜野さんと話していたときに疑問になった「東砂五丁目の謎」。
東砂五丁目にはなぜ両28(というか草28)が停まらないのかという
疑問だったのですが、それを調べる過程で色々と面白いことが
出てきたので、1年前に書いた文章をちょっと焼き直してここに発表します。
なお、停留所名は注記のない限りその当時のものです。
[1]昭和20年代
(前提知識)
昭和38年まで葛西橋は旧橋で、今の葛西橋よりもやや上流の位置に架かっていました。
停留所の位置で言えば旧葛西橋から直進した(旧)東砂五丁目〜小島の間です。
当然、停留所の名称も異なっており、今の旧葛西橋を葛西橋と称していました。
今の旧葛西橋近辺は古くからバスの便が発達していた地域で、戦後の路線復興後は
27系統(橙、後の[東21])が昭和22年12月に葛西橋まで延長、
キャスリーン台風で流失した葛西橋の復興後、昭和24年8月に29系統(水色、後の
[亀29])が錦糸町駅〜浦安を開業し、
26系統(緑、後の[秋26])が昭和24年11月に葛西橋まで延長、これで
基本3系統が出そろいました。
まだこの当時は停留所も少なく(昭和25年11月に元八幡を増設)、図のような
急行運転状態でした。葛西橋西詰は後から増設された(昭和27,8年ごろ?)と
思われる停留所で、現在の東砂六丁目交差点あたりにありました([2]参照)。
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