都バス・談話室R
情報交換・投稿・交流のための掲示板・第二版です。
都営バスに関することなら何でもお書きください。
同じ話題への発言につきましては、新規ツリー作成ではなく
その発言への返信という形でご投稿下さい。
都営バスエリア内のコミュニティバスの話題もこちらでどうぞ。
画像も投稿できます(都営バスに関するもののみ)。
不適切な発言は削除いたしますのでご了承ください。
(一部の漫画喫茶などからの書き込みを制限しています)
運営に関する質問等は掲示板には書き込まず、メールにてお願いします。
旧掲示板の過去ログ

  新たなツリーを作成 ┃ツリー ┃スレッド ┃一覧 ┃トピック ┃番号順 ┃検索 ┃設定 ┃過去ログ ┃ホーム  
1135 / 2533 ツリー ←次へ | 前へ→

【9174】昭和40年代の都バスの??? お好み玉子 05/9/20(火) 19:07

【9250】Re:後面方向幕と滝野川の話 ぽんぽこ 05/10/1(土) 23:05
┗ 【9254】Re:後面方向幕と滝野川の話 とうこうしゃ 05/10/2(日) 0:53

【9250】Re:後面方向幕と滝野川の話
 ぽんぽこ  - 05/10/1(土) 23:05 -

引用なし
   ▼東武指令さん、PLせつなさん、こんにちは。

>>あとはX代の川重3両(X412〜414)、A代1両(A582)が昭和町だったようです。

A582ですか? 581だった記憶が・・・。(滝野川本所が580)


>R代は全車が昭和町に常駐していたと思います。

はい、これは間違いありません。
私が滝野川に出入りしていた頃の本所側の最古参がS代で、北への統合直前になって、昭和町と一部運用の混合が発生するようになって、突然R台が出て来てびっくりした記憶があります。


>B代、C代の川重車も乗車した事があります。

最終的にはBだかCも一時的には数台、昭和町扱いで在籍していたような記憶があるのですが、この辺はやや曖昧です。


>昭和町の車は所属表記が全部「滝野川」でしたので判断が難しかった訳で

そうですね。「支所」ではなく、最近で言うところの「分駐所」扱い、確か当時は「分車庫」と言っていたような・・・。


>他所は分かりませんが滝野川・志村は弁当箱無しは存在していなかったと記憶。
>登場時は分かりませんが・・・・

私もこれに同意です。登場時はともかく、最終的には「無し」の車は記憶にありません。


>S代は確かに多かったですよ。

中でも異色で記憶に残っているのがN−S512。今と違って当時は担当乗務員制でしたから。この車の担当の方が、非常に車を大事にされる方で(見ていて「溺愛」に近かった・・・)食入や中休の際には「愛車」の洗車を怠らず、それもタワシやデッキブラシに洗剤たっぷり付けて、ゴシゴシやったものだから、キレイはキレイなんですが、全体的に塗装の色調が薄れてしまい、真っ白い車体に薄っすらと青い線の入った、他車と並べて停まっていると絶対に違和感を感じる1台でした。
昨今のように担当制がなくなり、管理が曖昧になって荒れ放題になって車を見ると、当時は担当者によって運転台周りも微妙に個性がありました。


この頃の写真、我が家のどこかには相当数眠っているはずなんですが・・・。
残念ながら、昨年の引越しのどさくさで、未だ埋もれていて発見できません。
見つかったら順次公開したいとは思っているのですが・・・。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@210-160-195-131.withe.ne.jp>

【9254】Re:後面方向幕と滝野川の話
 とうこうしゃ  - 05/10/2(日) 0:53 -

引用なし
   ▼ぽんぽこさん:
>「支所」ではなく、最近で言うところの「分駐所」扱い、確か当時は「分車庫」と言っていたような・・・。
後面方向幕の話ではありませんが…
昭和町は「滝野川自動車営業所昭和町分車庫」という呼称でした。
当時は分車庫と呼ぶスタイルが多く、格付けをすると営業所、支所、分車庫、操車所の順になります。ただし、支所の下に分車庫はこず、分車庫の下に操車所はこないという約束事があるようです。
今の深川営業所も、その前身は州崎自動車営業所東雲分車庫という名称で現在の都橋住宅の場所にありました。
昭和町分車庫がなくなって以後、分車庫という呼称はありませんでしたが、昭和62年の臨海自動車営業所発足時に、船堀駅前にあったそれまでの江戸川営業所を「臨海自動車営業所船堀分駐所」とし、現在は東小松川分駐所へ移転しています。
実質的にこれが分車庫に代わる組織といえます。最近では港南分駐所が支所に格上げされましたね。

>昨今のように担当制がなくなり、管理が曖昧になって荒れ放題になって車を見ると、当時は担当者によって運転台周りも微妙に個性がありました。
乗務員氏より担当車制という概念は現在でもあると聞いています。
都市新バスや、中型車専用系統、また都01・02のように中型系ノンステップバスを極力運行しないような系統など、車両運用に制約があり担当車を持っていても走れないケースが多いこと、週休二日になったこと、以前に比べ車両数が少なめになっていることなど、自分の担当車に乗る機会が減っているのは間違いないようです。このような様々な要因により、結果として車両の手入れが行き届かなくなったという印象を受けられているのでないかと思います。
運転台周りも微妙に個性…というのは私も同感です。
運転席付近に交通安全のスズメの置物(金メッキが施されたもの)や、サンバイザーやワンマン札の部分にぬいぐるみがぶら下がっているなど、担当乗務員氏の主張とでも言いましょうか、仕事に対する良い意味での姿勢の現れを車両から見て取れるような光景が多かったですね。
また、古い車(非冷房車の時代)にはなぜか運転席の右後方に一輪挿しがついていたりして独特の風情というか情緒を感じさせられるものがありましたが、最近では経営側の管理という側面もあるのか、このような個の主張的なものは見られなくなってしまいました。
その代わりといいますか、みんくるのシールをあちらこちらに貼っている車両や、各営業所独自に車内事故防止の啓発ポスターやステッカーを見るようになりました。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0; .NET CLR 1.1.4322)@25.143.150.220.ap.yournet.ne.jp>

  新たなツリーを作成 ┃ツリー ┃スレッド ┃一覧 ┃トピック ┃番号順 ┃検索 ┃設定 ┃過去ログ ┃ホーム  
1135 / 2533 ツリー ←次へ | 前へ→
ページ:  ┃  記事番号:   
498,965
(SS)C-BOARD v3.8.1β4 is Free.