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▼PLせつなさん:
>実に半分近くをR・S代で占めていたことになります。どれが昭和町の車かは
>分からないのですが、Rの24両はおっしゃる通りトロリーバス代替専用車です。
>(S代のほうはツーマン車の大量置き換え用かもしれません)
>あとはX代の川重3両(X412〜414)、A代1両(A582)が昭和町だったようです。
R代は全車が昭和町に常駐していたと思います。
昭和町は詰所とモータープールはそれなりにありましたが、検修施設が充実して
おらず結果的に車検や点検時には代車が出てました。
B代、C代の川重車も乗車した事があります。
X代とA代は点検時の代車かと思ってましたが配置だった訳ですね。
昭和町の車は所属表記が全部「滝野川」でしたので判断が難しかった訳で幼少の頃
からの謎が一つ解けた感じです。
S代は確かに多かったですよ。
相当昔にお話してると思いますが、このS代かM代のツーマン運行に乗車した事
があります。(王45ですね)
この代は車掌台がまだ完璧に残る車で、入口・出口表記は幕式、車掌用ブザーや
中扉開閉用のドアSWなんかも残ってました。
>また、3E(前面が傾斜でないやつですよね)は確かにA代からですね。
その後のH(K)代までは3Eですね。
M(L)からが5E、Vからが7Eですか。
> X412〜414、X684〜689、Z552〜555、Z547〜551ですが、このうち弁当箱も
> なかった可能性があるのはX代くらいでしょうか……。
他所は分かりませんが滝野川・志村は弁当箱無しは存在していなかったと記憶。
登場時は分かりませんが・・・・
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