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きつね さん:
仕様変化の補足をしていただき、ありがとうございます。
そうすると、蛍光灯の件は
Z代(昭和47年投入分)−電球
Z代最終(昭和48年春投入分、渋谷)−蛍光灯
A代(昭和49年夏投入分)−蛍光灯
B代前期(〜B509、昭和49年秋投入分)−電球
B代後期(B510〜、昭和50年3月投入分)−蛍光灯
ということでしょうか。確かにB代後期はごく少数で
ふそうが千住・新谷町に4両、日野が品川に2両、いすゞが滝野川と深川に14両
あわせて20両のみだったようです。
また、椅子の件もよく分かりました。なるほど、神奈中にあるような
「ザラザラ」したあのタイプですね。
>いや、距離の短い系統ではV代以降も起終点併記の方向幕のままでした。
>渋谷営業所では、日赤産院系統(渋谷、恵比寿発)とタワー系統がこれに
>あたります。
[渋88]も「短い系統」に該当していたと、なるほど……
また、前面系統幕と弁当箱が同じ規格らしいことになりますね。
ねこまた さん:
はじめまして。貴重な情報、ありがとうございます。
杉並(のち一部青梅など)のN代は日野−富士だったのですか。
江東でも例があったとのこと、これも先に割り当てしてしまった(本当だったら
練馬か志村だった?)のでしょう。R658,659は末期は葛西に行ったようですね。
ところで記録をとっていられるとのことでお伺いしますが、どのような
記録をとられていたでしょうか。現在、車両本の制作途中ということもありまして
昭和40〜50年代の車両に関する記録を募集中なのでありますが……
記録間で矛盾を起こしているもの(転記ミス)や細かいデータが分からない
という部分もありまして、今なおデータをお持ちの方を探している状態で
あります。
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