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きつね さん:
ご無沙汰しております。
一ノ橋の件などでは、色々と有益な意見をいただきありがとうございました。
さて、
>推測ですがコストダウンではないでしょうか?
どの本だったか覚えていないのですが、経営が苦しい中で代替用の新車を
大量導入しなければいけなかったため、様々な面でコストダウンが図られた
という記述を読んだ記憶があります。41〜47年度まで、通常の倍のペースで
新車を入れ続けるというのは大変なことでしょうね。
特にN〜Z代に関しては、年中のべつまくなしに新車を入れていた感じで、
昭和44年度のTV代は全7回導入になったと伺ったことがありますので
前期・後期と分けるのは難しいところがあるかもしれません。
>その他、ジャリジャリした感触のシートがW代からC代まで採用されましたが
>あれもコストダウンなのでしょうかね?
これはどういうシートだったのでしょうか。
確か、D代で薄いクッションシートになって、E代からややふかふかのシートに
なったと伺ったことはありますが…
>あと、前面の方向幕の件ですが、T代までは起点終点併記式でしたがV代で
>終点のみの記述となりました。
なるほど、その時からなのですね。本で一回、F〜G代あたりで「渋谷駅−
東京タワー」という両方向式の前面幕を出した写真がありましたが、昔の
幕を移設したのかもしれません。
>K代にはありました。新宿、杉並の車両はK代まで前向きシートです。
>城南地区(渋谷、目黒、品川)はセミクロスとでもいうのでしょか、
>前半分と最後列雛壇の手前が前向きシートでした。
すみません、用語の定義を統一したいのでお伺いしますが
前向き…全座席が前向き
三方シート…全座席が車内向き
セミクロス…中扉より後ろが車内向き、前は前向き
ということでよろしいでしょうか。
>同時期、四谷駅に足立ナンバーのクレハ車が出入りしておりましたが
四谷駅に入ってくる足立ナンバーの呉羽!? 何じゃそりゃ……と5分ほど
考えて分かりました、昭和41年10月末廃止の46系統(四谷駅〜一番町〜九段下・
代官町循環)ですね。3系統あった官庁街連絡線の名残で、なぜか新谷町が
伝統的に所管していました。そのK代と46系統というとりあわせは
僅かな期間だったのではと思います。
そういえば幕ということでご質問なのですが……
添付のタイプの系統幕に、見覚えはありますでしょうか。
こんな書き方をした幕は他にあったのでしょうか(経由地と系統番号部を
いっしょにしてしまった一時期の東急並のみづらさです)、気になります。
(撮影:naganoさん)
【hino_b_1.jpg : 24.2KB】
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