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今日はこれだけですが返事致します。
▼きつねさん:
はじめまして。
詳細な情報、ありがとうございます。今まで知らなかったことも色々とあり
たいへん勉強になりました。
一ノ橋折返の件:
>当時の新宿駅西口行きは麻布十番商店街経由でして、折り返しは新一の橋〜一の橋のループで行なわれておりました。
>また、一の橋から谷町方面への道路が未開通工事中であり、時々新一の橋交差点の谷町側右端で、時間調整なのか待機しているのが見られました。
>
そうなのですか。いやまさか当初は麻布十番の商店街を走っていたとは思いも
よりませんでした(この話は次の発言で)。
ワンマン化の件ですが、確かワンマン化初期は達成した系統年表があったはず…
と思って資料を発掘したらありました。たしかにおっしゃるとおり
昭和40年6月5日に70折・新宿駅西口〜一ノ橋をワンマン路線として開設
となっています。
同日に22乙・22丙(新小岩駅〜浦安橋東詰)をワンマン路線として開設されて
いますが、こっちはこの長さで1区だったのかは自信がありません。
なお、ワンマン化を最初に行ったのは昭和40年2月16日で、確かにおっしゃる
通り、1区の路線ばかりとなっています。
ただ、「2区の路線がワンマン化の初テスト路線」は
初代ワンマン化の系統のうちの1つである5折返(新宿駅西口〜堀ノ内車庫)は
本線(新宿追分〜代田)が2区であったと思われるので、異なると思われます。
また、70系統以前に昭和30年代で2区だった路線がワンマン化された例は
S40. 4.10:5系統(新宿追分〜代田2)
S40. 4.16:12系統(日暮里〜亀戸)・44系統(早大正門〜渋谷駅)・73系統(王子駅〜足立区役所)
があります。
というところで、この記述を拝見したのですが、
>当時の都営バスは地帯制導入前であり区間制でした。
>70系統は当時全線2区30円であり、新宿駅西口側は一ノ橋までが20円という料金設定でした。
昭和30年代の運賃設定の資料も3ヶ月ほど前に見つけたので
表形式に作り直してアップしました。あとで路線資料館からもリンクしますが…
http://pluto.pobox.ne.jp/fare_s36.html
これを見ると分かりますが、70系統はこの当時は信濃町駅・六本木が
運賃区界になっています。記憶と異なることになってしまうのですが、
昭和40年の運賃改訂のときにでも区界が移動になったのでしょうかね…?
(田町側からの運賃区界が信濃町駅というのはご記憶にありますでしょうか)
昭和40年当時の目黒の所管系統は62,70,71,101,113,129となっており、
一応1区の路線としては62(四谷駅〜官庁街・東京駅)がありましたが
もう廃止が決まっていたような路線なので、70で新たに折返を作って
ワンマン路線を目黒にも作ってみるという目的があったのでしょうね。
>折り返しは2運用(であったと思います。)設定され終日?折り返し運転されていたと記憶しております。
昭和40年の統計では、一ノ橋折返は17.5往復ありました。
終日運行されていたとのことなので、本線に混じって運行されていたので
しょうね。
続きます。
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