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@1974年のB代のいすゞ車(川重)はC代(同)同様関心があり、資料で見たところ晩年は深川と巣鴨ぐらいにしか記憶がありません。それも新塗装化された晩年の時期でありました。いったいどのくらい台数があり、廃車まで旧塗装(美濃部色)で残った車はあったのでしょうか、後部にルーバーがあった車両(B423〜?)はいつ頃まで走っていたのでしょうか。ナンバーや前所属などわかれば幸いです。
A川重メインだった営業所(大塚・小滝橋・江戸川etc)には富士重工ボディの車両が導入されたようで、川重のB代は記憶にまったくありません。その反面富士重工ボディのメインだった深川や巣鴨(おそらく北or滝野川から転属)では逆に富士重ボディは記憶になく川重ボディが導入されたのでしょうか、これはB代に限らず確かそれ以前にも同じ現象はあった(1967年のP代・70年のW代ではいすゞ車メインの各営業所とも川重ボディが在籍していたようだった。もしかしたら一部では在籍していなかったり富士重ボディがいたかもしれない)ようです。何の理由でこのような現象が発生したのでしょうか?
B翌75年のC代のいすゞ車は川重がメインで富士重工ボディは少なかったようです。
小滝橋と深川ぐらいしか覚えがありません。どのくらい在籍していたのでしょうか
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