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何年かぶりの投稿です。
私が生まれる前の話で、しかも記事そのものは見ていないので、断定はできませんが、
おそらく36系統(今の錦28)のことではないでしょうか?
路線資料館にも出ていますが、大雑把な経路は、
東京駅丸の内口から東22の経路で茅場町まで出て、錦11の経路で新大橋通りを東に進み、
亀戸7経由は今の西大島駅前を左折、明治通りを北上、京葉道路で右折
大島7経由はそのまま新大橋通りを東に進み、大島8交差点を左折、亀戸9交差点で右折(昭和41年現在の路線図だと大島七(新六ノ橋)となっているので大島8左折で間違いないはず)
合流後は今の亀26の経路で今井まで出て、葛西22の経路で浦安橋まで出て、左折し浦安橋を渡る、という経路で浦安に、という経路です。
(今の浦安橋と異なり、当時の橋は旧江戸川沿いの道から浦安橋に直接入ることができる構造でした。)
ちなみに、少し後の時点にはなりますが、昭和43年の統計江戸川によれば、昭和42年度の36系統の運行回数は74回と、浦安に乗り入れていた都営バスの系統の中では最も本数は少なかったようです。
(同資料によれば、新小岩からの22系統は145回、同じく新小岩からの63系統(昭和40年当時は22丙系統)は113回、錦糸町からの29系統は104回。)
長くなってしまいましたが、参考になればと思います。
▼舞浜ベイスターズさん:
>久しぶりの投稿です。
>
>本日(9月27日)付け、読売新聞の朝刊31面に、
>1965年の丸の内口のバス停の写真が掲載されていました。
>
>(地域面なので、都内向けの紙面のみかもしれませんが…。)
>
>一番目立つ5番のバス停が浦安行きらしいのですが、
>写っている経由地らしきものをみると、
>大島(七)経由と亀戸(七)経由の2パターンあるように見えますが、
>実際のところ、何番系統で、どんな路線だったのでしょうか?
>
>路線資料館を見ても見つけられなかったので、
>(私の調べ方が不充分なのかもしれませんが…。)
>ご存知のかたがいらっしゃいましたら、ご教示をお願いします。
>
>長文での投稿、失礼しました。
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