都バス・談話室R
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【9795】東京都公報による終戦前後の都営バス まっきい 06/2/18(土) 23:43
┣ 【9799】Re:終戦後の都営バス(仮まとめ) PLせつな 06/2/20(月) 16:13
┃┗ 【10223】Re:終戦後の都営バス(仮まとめ) まっきい 06/5/20(土) 1:27
┗ 【10245】Re:東京都公報による終戦前後の都営バス PLせつな 06/6/5(月) 2:43
┗ 【10255】Re:東京都公報による終戦前後の都営バス まっきい 06/6/11(日) 22:26
┗ 【10256】Re:東京都公報による終戦前後の都営バス つばさ 06/6/13(火) 9:34

【9795】東京都公報による終戦前後の都営バス
 まっきい  - 06/2/18(土) 23:43 -

引用なし
   大昔の話で恐縮なのですが、昭和20年〜22年頃の東京都公報を見たところ、都営バスに関する記述をいくつか見つけましたので書き込みます。このころの事業概要はほとんど残っていないようなので、多少の参考になればと思います。

○昭和20年4月1日 都告示170号
4月1日付で大島自動車営業所・浜松町自動車営業所を廃止。

交通局60年史では共に昭和21年4月1日の廃止となっていますが、公報上では20年4月1日付けの廃止になっています。私もこの掲示板に浜松町は21年に廃止、と書き込んだ記憶がありますが、それは誤りだったようです。

○昭和20年11月15日 都告示439号
6月16日付で目黒・小滝橋・新谷町・品川・練馬自動車営業所を廃止。

5ヶ月遅れの告示になっています。

○昭和21年4月2日 都告示146号
4月1日付で小滝橋・練馬・新谷町を再開

○昭和22年2月15日 都告示79号
2月15日付けで以下の系統を新設
102 東京駅〜新宿駅〜荻窪
10 王子〜西新井大師
以下の系統を廃止
5 新宿駅西口〜堀ノ内車庫
10 王子〜荒川土手
23 荒川土手〜西新井大師

5系統が一旦廃止扱いになっているのですが、23年度の事業概要には5系統の記述があり、新設したという情報もないので23年3月までには復活させたのでしょうか。

10系統は21年3月の新設時には(21年3月の事業概要によれば)田端新町2・小台経由となっており、キロ程も5.740kmと長めになっています。23系統は22・24系統が21年8月の開業ですから、そのころに開業したものと思われます。なお、そのころ発行された「コンサイス・東京都区分地図帳」には22・24系統はありますが、23系統はありません。なお、新しい10系統の経路がまだ田端新町経由であったかどうかはこの資料からではわかりません。
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; en-US; rv:1.8.0.1) Gecko/20060111 Fir...@firewall.vt.ms246.net>

【9799】Re:終戦後の都営バス(仮まとめ)
 PLせつな E-MAIL  - 06/2/20(月) 16:13 -

引用なし
   どうもどうも、情報ありがとうございます。
公報には載っている情報というのもあったんですね。公報は昭和39年以前は全然手をつけていなかったので、助かります。

浜松町・大島はS20.4.1の廃止だったとすると、従来の年史でも述べられてきたS21.4.1廃止は誤植(40年史の時点で間違えていた?)であり、戦後も亡霊のように営業所としての名前だけ残っていたという解釈は誤りと考えてもよさそうです。すなわち、担当系統廃止の時点で営業所は消滅したということで。

−−

今までに散発的に出たものも含めて、ちょっと整理をしてみたいと思います。昭和21年3月現在で事業概要に拠れば以下の通りです。

1 田町駅〜魚籃坂下〜恵比寿駅〜渋谷駅
2 渋谷駅〜新宿追分
3 新宿駅東口〜四谷見附〜日比谷〜東京駅南口
4 新宿駅東口〜戸塚2〜早稲田
5 新宿駅西口〜鍋屋横丁〜堀ノ内車庫
6 杉並区役所〜堀ノ内車庫〜代田橋
7 東中野駅〜高田馬場駅〜早稲田
8 練馬車庫〜目白駅〜江戸川橋 ※護国寺経由
9 池袋駅東口〜王子駅
10 王子駅〜小台〜荒川土手 ※田端新町2経由
11 浅草寿町〜鶯谷駅〜西新井橋
12 三ノ輪(橋?)〜寺島広小路〜亀戸駅
13 千住車庫〜三ノ輪橋〜浅草寿町
14 吾嬬西9〜寺島広小路〜向島〜浅草寿町
15 亀戸駅〜三角 ※小松川経由
16 錦糸堀〜亀戸駅通り〜城東区役所〜大島7
17 亀戸駅〜境川〜葛西橋〜新田
18 東京駅南口〜銀座4〜月島3
(系統一覧と末尾の路線略図では15,16がひっくり返っていますが、上記が後々の動きからすると正しいのではないかと思います)

10系統が小台経由になっていることは資料を持っていたのに気づきませんでした。この当時は豊島橋(昭和35年架け替え)・江北橋(昭和47年架け替え)ともに旧橋で現在よりも上流にあったのですが、豊島橋が何らかの理由で通行できなかったのかもしれません。戦前は普通に路線が走っていたはずなので…。

以下、昭和21年度〜22年度の推定年表です。

S21前半
×16系統 錦糸堀〜大島7 廃止
S21.5.20
●19系統 東雲〜豊洲埠頭〜門前仲町〜東京駅南口 開通
S21.8.1
●20系統 哲学堂〜目白駅〜江戸川橋(護国寺経由) 開通
●22系統 新小岩駅〜松江〜今井 開通
S21.8.20
●24系統 東京駅南口〜日本橋〜水天宮 開通
S21年夏
×8系統 練馬車庫〜目白駅〜江戸川橋 廃止
●21系統 練馬車庫〜目白駅 開通
S21.11.1
▲21系統 豊島駅〜目白駅に延長
S21年後半
●23系統 荒川土手〜西新井大師 開通? ※[24]よりも後の開通
S22.2.15
●10系統(2) 王子駅〜荒川土手〜西新井大師 開通 ※この時点で豊島橋経由?
×10系統(1) 王子駅〜小台〜荒川土手 廃止
×23系統 荒川土手〜西新井大師 廃止
●102系統 荻窪〜新宿駅東口〜東京駅南口 開通
×5系統 新宿駅西口〜堀ノ内車庫 廃止
多分S21年度
▲15系統 錦糸町駅〜三角に延長
●16系統(2) 錦糸町駅〜境川〜新田〜浦安橋 開通
S22.4.21
▲12系統 千住車庫〜三ノ輪橋〜亀戸駅に延長
▲13系統 千住車庫〜三ノ輪橋〜上野駅に変更延長
●23系統 浅草寿町〜厩橋?〜錦糸町駅 開通
S22.5.15
●8系統(2) 王子駅〜龍泉寺〜浅草寿町 開通 ※現行の[草64]とは経路違い
●25系統 東京駅北口〜森下町〜亀戸駅通り 開通(都電代行)
S22.6.25
●100系統 東京駅南口〜五反田駅〜洗足池 開通
●101系統 東京駅南口〜恵比寿駅〜都立高校 開通
●103系統 築地〜渋谷駅〜駒沢 開通
●104系統 東京駅北口〜池袋駅東口〜大山 開通
●105系統 東京駅北口〜巣鴨駅〜志村 開通
●106系統 東京駅北口〜千住車庫〜草加 開通
●107系統 東京駅北口〜錦糸町駅〜市川駅 開通
S22.7?
▲15系統 錦糸町駅〜浦安橋に延長 ※多分小松川経由
S22.8.5
●26系統 浅草寿町〜村松町〜境川 開通
●27系統 袖ヶ浦〜洲崎〜門前仲町 開通
S22.9.1
×21系統 豊島園〜目白駅 下に改番
▲25系統 東荒川〜亀戸駅通り〜東京駅北口に延長
●108系統 豊島園〜目白駅〜新橋駅 開通
▲103系統 東京駅南口〜渋谷駅〜駒沢に変更
▲104系統 東京駅北口〜大山〜常盤台駅に延長
S22.9
×16系統(2) 錦糸町駅〜浦安橋 廃止(カスリーン台風で葛西橋流失)
▲17系統 錦糸町駅〜葛西橋に短縮(同上)
S22.9.20
▲22系統 浅草寿町〜押上〜錦糸町駅に変更
S22.12.1
×14系統 吾嬬西9〜浅草寿町 下に改番
●109系統 金町駅〜吾嬬西9〜上野広小路 開通
●特系統 東荒川〜西荒川 開通(都電連絡)
▲4系統 新宿駅西口〜早稲田に延長
▲13系統 千住車庫〜龍泉寺〜浅草寿町に変更短縮
▲23系統 上野広小路〜浅草寿町〜錦糸町駅に変更延長
▲26系統 洲崎〜村松町〜浅草寿町に変更 ※洲崎からの詳しい経由地は?
▲27系統 葛西橋〜洲崎〜門前仲町〜有楽町駅に延長
S22.12.30
▲15系統 錦糸町駅〜三角に短縮
▲22系統 新小岩駅〜今井〜浦安橋〜新田に延長 ※[15]の肩代わり+江戸川区内の[16](2)の代替?
S23.2.1
▲22系統 新小岩駅〜新田〜小島に延長 ※[16](2)の代替
時期不明
×3系統 新宿駅東口〜東京駅南口 廃止(102に統合?)
●5系統(2) 新宿駅西口〜堀ノ内車庫 復活(昭和22年度?)
▲18系統 東京駅南口〜水天宮〜築地に延長(昭和23年7月以前)

[5]の一旦廃止ですが、これも新情報です。確か[102]荻窪〜東京が一大輸送力を発揮したトレーラーバスのデビュー系統だったはずで、路線の重複する[5]は、当時のおそろしく乏しかった運行能力においては仕方なく統合という扱いになったのかもしれません。[3]は[102]の後に消えたのかどうか気になります。[3]は新宿所管で堀ノ内とは関係なく、[18]の出入りとしても使われていたはずなので……。
昭和23年7月の所管系統、新宿の所管が[18]東京駅〜月島3、[24]東京駅〜築地だけというのもよく考えるとめちゃくちゃです。

なぜ[19]→[東19]は南口発着だったのかという理由ですが、この当時は南口(降車口)しかターミナルとして復旧させていなかったのかもしれません。

初代[23]の話は初めて聴きました。確かに現在の[都08]である[23]はちょっと開通が遅れているので変だったのではありますが、使いまわしだったのですね。

使いまわしといえば[8]もそうですが、初代[8]が[橋68]の新江古田駅経由、[21]が今の[白61]の新宿方面の経由と違っていたために番号を変えた路線にしたことも考えられます。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@gz200.opt2.point.ne.jp>

【10223】Re:終戦後の都営バス(仮まとめ)
 まっきい  - 06/5/20(土) 1:27 -

引用なし
   いくつかPLせつなさんの書き込みで個人的に疑問点が生じたので、調べた上で書き込もうと思っていたら随分遅くなってしまいました。

東京都公文書館所蔵の資料の中に自動車課長名での通達が残っています。私が確認したところでは、
昭和22年7月13日 自達甲第一九号 バス運転系統一部増設の件
16日付で以下の系統を新設
[16] 錦糸町駅〜境川〜葛西橋〜新田〜浦安(10.562km、江東)
[107]例外 東京駅〜浅草橋〜錦糸堀〜東小松川(11.233km、江東)

昭和22年7月30日 自達甲第二二号 バス運転系統一部増設の件
8月5日付で以下の系統を新設
[26] 浅草〜浅草橋〜浜町中ノ橋〜清澄町〜境川(6.688km、新谷町)
[27] 門前仲町〜袖ヶ浦(4.938km、江東)

昭和22年8月25日 自達甲第三一号 バス運転系統一部変更の件
9月1日付で以下の通りに変更
[100] 洗足池〜五反田駅〜品川駅〜銀座〜東京駅(13.206km)
[103] 駒沢〜渋谷駅〜材木町〜虎ノ門〜日比谷〜東京駅(13.476km)

昭和22年8月28日 自達甲第三十一号の二 自達甲第三十一号通達追加の件
[103]の変更実施を都合により数日延期

昭和22年9月10日 自達甲第三三号 バス運転系統一部延長の件
11日付で以下の通りに延長
[104]大山〜東京駅(13.429km)を常盤台駅〜東京駅(15.529km)に延長

昭和22年9月15日 バス運転系統一部経由地変更の件
15日付で以下の通りに変更
[23]浅草〜駒形橋〜厩橋一〜(春日通り)〜横川三〜錦糸町駅を浅草〜駒形橋〜吾妻橋二〜押上〜錦糸町駅(3.528km、新谷町)
[26]浅草〜浅草橋〜浜町中ノ橋〜清澄町〜境川を国際通り経由から雷門・駒形二・江戸通り経由に(7.671km、新谷町)
[28]浅草〜駒形橋〜石原一〜太平三〜亀戸四〜亀戸駅を雷門・吾妻橋経由に(5.205km、新谷町)

また公文書館では原本を見つけられなかったのですが、「北区史」(資料編 現代2)の中に昭和22年5月13日付の自達甲第九号の二 バス運転系統一部増設の件が掲載されており、
[8]王子〜三ノ輪〜浅草 (8.472km、大塚)
[25]亀戸駅通〜東京駅 (7.208km、江東)
が15日に新設される旨が記載されています。

[16](2代目)については、どうも22年7月にようやく開設されたようです。5月13日付の自達甲第九号の二では[15]錦糸町駅〜三角、[17]錦糸町駅〜新田、[22]新小岩駅〜今井、[25]亀戸駅通〜東京駅が江東所管の系統として出ていますが、[16]の記載はありません。15系統については7月13日付の自達甲第一九号でも錦糸町駅〜三角と紹介されており、この時点では浦安橋まで伸びていなかったようです。但し、当時の新聞に(7月)16日から錦糸町駅〜三角を錦糸町駅〜浦安に延長、20日に錦糸町駅〜新田を錦糸町駅〜浦安に延長という記述もあり、この通達が出た後に変更された可能性もあります。
なお、以前の投稿には書きませんでしたが、東京都公報の21年3月15日都告示102号でバスの運行系統に関する告示がなされており、
15 錦糸町駅〜大島七丁目
16 亀戸〜三角
となっていて、やはり三角行きは当初16系統であったようです。後の動きを考えると逆の方がしっくりくるのですが・・・。

次に[28]浅草〜亀戸ですが、当時の新聞によれば昭和22年9月1日に浅草〜亀戸を新設と掲載されており、これがこの[28]のことではないかと思います。この時点では蔵前橋通りの都電(16系統)は運転しておらず(23年12月15日に再開)、その代行も兼ねての運行であったかと思います。もっとも23年度の事業概要には記載はなく、22年度内に廃止になったようです。
26系統は浅草〜洲崎となった23年7月の事業概況でも新谷町所管で、おそらく洲崎が復活するまで新谷町所管だったのでしょう。23年7月の事業概況についている図を見る限りでは洲崎から今の木場駅前を右折、三ツ目通りを北上、白河町で清洲橋通りに入るという経路であったかと思います。大門通りには75系統(→錦13)で初めてバス路線が出来た事を考えると、大門通り経由の可能性はかなり低そうです。

[3]東京駅〜新宿駅は当時の新聞記事に[102]荻窪〜新宿駅東口〜東京駅南口を新設、[3]東京駅〜新宿駅を廃止との記述を見た記憶があります。廃止したといっても、丸の内線もなく、都電の配車も十分とはいえない時代ですから、18系統などのの出入庫便として運行したかも知れません。(時代は下りますが、昭和35年の乗客交通調査では出入庫系統として東京駅〜新宿車庫がわざわざ別掲されています。)
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; en-US; rv:1.8.0.3) Gecko/20060426 Fir...@firewall.vt.ms246.net>

【10245】Re:東京都公報による終戦前後の都営バス
 PLせつな E-MAIL  - 06/6/5(月) 2:43 -

引用なし
   返信ありがとうございます。
今回も相変わらずの長文です。
あの後に、色々と資料を手に入れたところもあるので、それの補足も兼ねて。
主に昭和50年代頃に作成された、戦後の交通局作成の年表に拠っています。

★[15][16][17]について

S21.3.15
[15]錦糸町駅〜大島七丁目 3.574km
[16]亀戸駅〜三角 6.596km
[17]亀戸駅〜新田 6.346km
の3系統となっていますが、すぐ下のS21.8.1で
[16]錦糸町駅〜大島七丁目 休止
となっています。一体どっちなのやら相変わらず悩まされますが、まっきいさんのおっしゃる

>5月13日付の自達甲第九号の二では[15]錦糸町駅〜三角、[17]錦糸町駅〜新田、
>[22]新小岩駅〜今井、[25]亀戸駅通〜東京駅が江東所管の系統として出ていますが、
>[16]の記載はありません。15系統については7月13日付の自達甲第一九号でも
>錦糸町駅〜三角と紹介されており、この時点では浦安橋まで伸びていなかったようです。

という部分によれば、やはり上記の[15]〜[17]の並びが当初は正しかったと思われます。(「5月13日付の自達甲第九号の二」のほかの部分の転記をお願いしてもよろしいでしょうか?)
矛盾なく考えれば、昭和21年度前期のうちに[15]と[16]を入れ替えてしまったというのもあり得ます。以前の書き込み[#5017]

>S21.9発行の「コンサイス・東京都区分地図帳」で
>[15] 亀戸〜東小松川〜三角
>[17] 亀戸〜新田
>となっているのも理由が成り立ちます。(すでに[16]は廃止済み)

とあるように、錦糸町駅〜大島七丁目はS21.8.1休止なのでこの部分は正しく、[15]となっていることから、S21.8.1に同時に番号を入れ替えたという可能性が高そうです。また、亀戸〜三角はいつの間に錦糸町駅発着になったのだということになりますが、これについてはまだ不明です。S21.9〜S22.5の間だとは思いますが。[17]亀戸〜新田についても、同時に錦糸町駅まで延長されたのではないかと思います。

その後、年表に現れるのは
S22.7.16
[16] 錦糸町駅〜浦安 10.562km 開通
S22.12.30
[16] 錦糸町駅〜浦安、[17] 錦糸町駅〜新田の2系統を休止
S23.8.1
[16] 錦糸町駅〜葛西橋を休止

となっています。[15]については何も触れられておらず、[15]はずっと三角止まりのままだったのではないかという気がします。カスリーン台風の代替は[22]で賄っていたようですし。S23.8.1に出てくる[16]は復旧後のものでしょうが、いつ復旧したのかは書かれていません。[22]の江戸川区内の新田・小島への延長のタイミングが怪しいですが。
(ちなみに、この資料では[22]の小島延長はS23.2.1ではなくS23.2.16となっています)

★[8]系統(初代)について

S21.3.15に練馬車庫〜江戸川橋として開通した[8]ですが、S21.8.1に[21]に替わっています。休止の扱いで、同日に[21]練馬車庫〜目白駅、[20]哲学堂〜江戸川橋が開通しています。形としては[20][21]の2系統に分割したのでしょうが、初代[8]の経路が気になるところです。

★[3]系統(初代)について

S21.3.15に新宿駅東口〜東京駅乗車口として開通した[3]ですが、こちらはS21.8.20に「[18][19][24]の出入庫系統とする」と明記されていました。一般路線から格下げされたようです。同日に[24]東京駅乗車口〜水天宮が開通しており、新宿の所管であることから、[3]に使う車が足りなくなったのかもしれません。車両数にも全く余裕のない頃でしょうし、[3]のほうは都電が並行していたということもあったのかも。

★[23]系統について

荒川土手〜西新井大師として開通した[23]系統ですが、開通はS21.8.1でした。

★その他、隠れ系統について

系統番号のついた系統は把握していたつもりですが、まだまだ隠し球がありました。

[3]系統(2代目)
S22.9.1 新宿駅〜池袋駅 開通
S22.12.1 新宿駅〜池袋駅 廃止
わずか3ヶ月しか持ちませんでした。廃止日に、[4]新宿駅〜早稲田を新宿駅西口発着に延長していますが、それ以外の特記事項は特にありません。トロリーバスの運転休止でもあったのでしょうか?

[26]系統(初代)
S22.6.16 東京駅〜池袋駅 開通
S22.6.25 東京駅〜池袋駅 廃止(→[104]になったとしか思えない)
都営だけ単独開通して、直後に相互乗り入れ系統になるというのは何例かありましたが、初代の相互乗り入れ系統でも行われていたというのは初耳です。8.376kmで、多分経路は[104](→[東50])と同じではないかと思います。[26](→[秋26])の開通時期が他の番号と比べてズレている理由がようやく分かりました。
なお、東京駅降車口(北口)はしばらくバスターミナルとして使われておらず、本格的に使われたのはS22.6.25の相互乗り入れ系統が初ですが、この[26]も降車口を使っていたのかは不明です。もう一つは以前話題になった[25]亀戸駅通り〜東京駅がありまして、こちらはS22.5.15開通ですが、これは降車口だったのかどうか……?

[28]系統
S22.9.1 浅草〜石原通り〜亀戸駅 開通 4.530km
「石原通り」というのが聞きなれませんが、墨田区内の蔵前橋通りの呼び名なのでしょう。そうするとまっきいさんのおっしゃった都電代替という可能性が強まります。
最短距離の浅草寿町〜(駒形橋)〜(清澄通り)〜石原1〜亀戸4〜亀戸駅が4.5kmなので、雷門を経由しなかったかもしれません。

S22.9.20 浅草〜吾妻橋〜亀戸駅 5.205kmに変更
直後の変更ですが、寿町〜雷門〜(吾妻橋)〜(清澄通り)〜…という変更と思われます。

S22.12.1 浅草〜亀戸駅 廃止
ということで、こちらも3ヶ月しか持ちませんでした。開通・廃止は上記の[3](2代目)と同じです。何かあるのかも?

とりあえずこんなところで。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@p4145-adsau16honb10-acca.tokyo.ocn.ne.jp>

【10255】Re:東京都公報による終戦前後の都営バス
 まっきい  - 06/6/11(日) 22:26 -

引用なし
   返信ありがとうございます。
また長文になってしまいますが・・・

○[15]〜[17]・[25]について

自達甲第九号ノ二を以下に転記します。


    <転記始め>
自達甲第九号ノ二
バス運転系統一部増設の件
昭和二十二年五月十三日
自動車課長 下山常夫

自動車営業所長殿

バス運転系統一部増設の件

表記の件を次の通り来る五月十五日から実施することになったから通達する。



一、増設運転系統
第八号系統 王子〜三ノ輪〜浅草間 八、四七二米
第二五号系統 亀戸駅通〜森下〜東京駅間 七、二〇八米

二、変更事業計画
所別 番号 系統 片道所要時分 配置車数(常用 予備 計) 運転回数 運転間隔
江東 (15)錦糸町駅〜三角 7.598km 31分 15,9,24 120-160回 4-10分毎
江東  17 錦糸町駅〜新田 7.348km 30分 15,6,21 100-120回 5-10分毎
江東  22 新小岩駅〜今井 4.708km 19分 10,6,16 100-120回 5-10分毎
江東  25 亀戸駅通〜東京駅 7.208km 29分 15,4,19 100-120回 5-10分毎
大塚 (8) 王子駅〜浅草 8.472km 34分 10,3,13 80-100回 6-12分毎
大塚  9 池袋駅〜王子駅 3.883km 16分 10,10,20 120-160回 4-10分毎
大塚  10 王子駅〜西新井大師 3.250km 13分 10,10,20 100-120回 5-10分毎
括弧で囲まれている系統(8、15)は連結車運転系統
いずれも始発630、終発1930

三、停留所
8系統 王子駅〜梶原〜尾久駅〜田端新町三〜下尾久〜三河島四丁目〜荒川区役所〜三輪(大関横)〜竜泉寺〜六区〜浅草
25系統 亀戸駅〜大島三〜住吉二〜菊川二〜森下〜新大橋一丁目〜浜町中ノ橋〜水天宮〜カキガラ町(原文ママ)〜茅場町〜日本橋〜丸ノ内一丁目〜東京駅

引返方法
亀戸駅通引返方法は既認可休止中の通り

四、料金区
8 王子駅〜尾久駅〜三河島四丁目〜三輪(大関横)〜浅草(寿町)
25 亀戸駅通〜菊川二〜水天宮〜東京駅

五、表示方法
起終点で各反対方向を表示する

六、操車場所
第八系統 王子駅前
第二五系統 亀戸駅通り

七、系統所管
第八系統 大塚自動車営業所
第二五系統 江東自動車営業所

八、操車粁
第八系統 一七、五
第二五系統 一五、〇

九、始終車通過時刻
系統 起点           終点
   場所   始発時 終発時 場所   始発時 終発時
8   王子駅  630   1856  浅草   704   1930
25  亀戸駅通 630   1901  東京駅  659   1930

    <転記終わり>

10系統の系統キロなど怪しい部分もありますが、上記の通りです。連結車というのは親子バスのことでしょうか?

>の3系統となっていますが、すぐ下のS21.8.1で
>[16]錦糸町駅〜大島七丁目 休止
>となっています。
初代[15]錦糸町駅〜大島七丁目はやはり[22]の新設と入れ替わりの廃止だったのですね。
一方、三角発着のほうの[15]ですが、当時の新聞に錦糸町駅〜三角を浦安橋まで延長、という記事が出ていたと思います(確か22年7月か8月)から、浦安橋まで運行していた時期はあったとは思うのですが、かなり短期間だったようですね。
一つ気になる点として、[16]錦糸町駅〜葛西橋をわざわざ復活して運行していた点が挙げられます。ほぼ併走する都電29系統は21年3月時点で錦糸堀〜葛西橋の運行を始めていますし、当時の状況から言ってわざわざ運行する特段の理由もないような気がします。当時江東の所管だった[27]東京駅〜葛西橋の出入庫用位しか思い当たる理由がありません。
もう一つ、[25]の東京駅の発着場所について上記通達ではわかりませんが、23年7月の事業概要に付属している地図を見る限りでは、同じく日本橋から東京駅に入る[19][24]と同様、乗車口(南口)発着であったように思われます。

○[28]系統について
私の説明不足でした。昭和22年9月15日の通達に図が付いています。
図によれば、PLせつなさんの仰るとおりで、
変更前:最短距離の浅草寿町〜(駒形橋)〜(清澄通り)〜石原1〜亀戸4〜亀戸駅
S22.9.20の変更後: 寿町〜雷門〜(吾妻橋)〜(清澄通り)〜…
です。
同じく変更後の停留所についても記されておりまして、
[23]錦糸町駅〜太平町3〜横川3〜押上〜吾妻橋2〜駒形2〜浅草
[26]浅草〜雷門〜駒形2〜厩橋〜蔵前1〜浅草橋駅〜浅草橋〜久松町〜浜町中ノ橋〜清洲橋〜清澄町〜深川三目通り〜小名木川橋〜岩井橋〜境川
[28]亀戸駅〜亀戸4〜亀戸天神〜太平町3〜法恩寺橋〜石原4〜石原1〜厩橋1〜吾妻橋東詰〜雷門〜浅草
となっています。
[28]の廃止日ですが、S22.12.1に[109]上野広小路〜金町が新谷町所管で開業していますから、[109]を開業させるために利用の少ない[28]を廃止、という形になったのでしょう。

○2代目[3]について
>わずか3ヶ月しか持ちませんでした。廃止日に、[4]新宿駅〜早稲田を
>新宿駅西口発着に延長していますが、それ以外の特記事項は特にありま
>せん。トロリーバスの運転休止でもあったのでしょうか?

トロリーバスの開業はまだ先の話ですから、戦前バスが走っており、かつ代替の交通機関がないということでとりあえず設定されたのでしょうか。
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; en-US; rv:1.8.0.4) Gecko/20060508 Fir...@firewall.vt.ms246.net>

【10256】Re:東京都公報による終戦前後の都営バス
 つばさ  - 06/6/13(火) 9:34 -

引用なし
   詳しい解説を興味深く読みました。
15系統 4分〜10分毎
17系統 5分〜10分毎
22系統 5分〜10分毎
25系統 5分〜10分毎
8系統 6分〜12分毎
9系統 4分〜10分毎
昔はどの系統も高頻度の運行だったんですね。
今の新系統は1時間毎とか運行があまりにも少ないから別世界のように感じます。
<DoCoMo/2.0 P900i(c100;TB;W24H11)@proxy159.docomo.ne.jp>

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