都バス・談話室R
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【10474】路線資料館の都08について 三ノ輪車庫 06/8/16(水) 9:50
┣ 【10475】Re:路線資料館の上46について 三ノ輪車庫 06/8/17(木) 9:51
┗ 【10476】Re:路線資料館の都08について PLせつな 06/8/18(金) 23:26 [添付]
┗ 【10478】Re:路線資料館の都08について 三ノ輪車庫 06/8/19(土) 9:15
┗ 【10479】Re:路線資料館の都08について PLせつな 06/8/19(土) 11:56

【10474】路線資料館の都08について
 三ノ輪車庫 E-MAIL  - 06/8/16(水) 9:50 -

引用なし
    コミックマーケットの出展お疲れ様でした。
 さて、路線資料館の「都08」に「律儀な出入庫」という一文があり、日暮里方からは下谷警察署まで営業運転し…という記述がありました。
 しかし、この路線以前にもメールで書いたかもしれませんが、かつては「竜泉」まで営業運行していました。いつから「下谷警察署」で打ち切るようになったかは覚えていませんが、「都08」のグレー幕にしっかり「竜泉」の文字が見えますから、平成5年の都市新バス化当時は竜泉まで営業運行していた事になります。
 この時は国際通りとの交差点手前に入庫車の降車専用停留所を設置して(通常の錦糸町駅行きは国際通りに「右折」してから停留所があります)そこから回送していたのを、別に停留所を設置するよりは、と1つ手前の「下谷警察署前」で営業を打ち切ったのだと思います。
 何とか「竜泉」まで営業してほしいと思うのですが、出庫車とのバランス(出庫車は「下谷警察署前」から営業)でそうなったのでしょう。ただ、昔から下谷警察署前始発だったかは記憶にありません。
 ただ、PLせつなさんのおっしゃるとおり、錦糸町方からの出入庫は「二天門」で行っても良い気がします。
 南千住の各系統は割と納得できる出入庫をしますが、「律儀」と言うわりにはこの「都08」のように不可解な打ち切り方をする系統もあります。「上46」の清川2丁目出庫もその通りですし、里22の泪橋出庫もそう。
 なぜ車庫前から乗せてくれないかと思います。
 せめて「上46」の泪橋停車はPLせつなさんだけではなく、私も実現して欲しいと思っています。
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【10475】Re:路線資料館の上46について
 三ノ輪車庫 E-MAIL  - 06/8/17(木) 9:51 -

引用なし
   ▼三ノ輪車庫さん:
> せめて「上46」の泪橋停車はPLせつなさんだけではなく、私も実現して欲しいと思っています。
 ここまで書いて改めて「上46」の資料館を見ました。そして、現地を思い浮かべてみました。
 結局上46の泪橋停車が実現しないのは、南千住駅東口方向が吉野通りから東へ右折するためではないかと思われます。
 南千住という営業所はなぜか片方向停車の停留所設置を嫌う傾向にあります。
 かつては「都08」も「西浅草3丁目」が錦糸町方向のみの片方向停留所だったのを、言問通りから国際通りへ右折して少し行った場所に「都08」の単独停留所として設置され、両方向停車にした位です。
 (この為、他系統との乗り継ぎは少々不便)墨38が青戸に移管された現在、南千住に片方向停車の停留所はありません。
 もし、両方向停車にするなら、右折の関係から東42の泪橋停留所に停めるのは厳しいかもしれません。というのも右折信号までの距離が厳しいからです。
 かといって右折できない距離ではありません。でも、設置するなら明治通りとの交差点より手前に単独設置となるでしょう。
 そこまでしてまで両方向設置にこだわる意味は泪橋にはないと考えます。
 あるとしたら「里22」との乗り継ぎの為でしょうか。
 片方向でもいいから泪橋停留所の設置は必要と思います。
 また、出入庫ですが、営業の他回送での出入庫もあり、こちらは南千住駅東口を出ると、南千住4丁目交差点を営業車と反対に右折し、直接「東部区民事務所(元・瓦斯〈ガス〉会社前)」まで向かい、営業ルートに戻り、入庫します。
 このルートを活用し、「急行」として営業するか、この区間にいくつか停留所を設けて「南千47」の営業ルートにするのもいいかもしれません。
 律儀に大回り、というのも汐入地区は「上46」だけにまかせて、他系統は他のルートを開拓してはどうかと思います。今、再開発が進んでいる汐入地区。
 いずれバスルート1本では足りなくなる時期がきます。
 その、さきがけとして、出入庫の回送ルートをもう1本営業に使っておくのも
 「手」だと思います。
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【10476】Re:路線資料館の都08について
 PLせつな E-MAIL  - 06/8/18(金) 23:26 -

引用なし

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : t08_6.jpg
・サイズ : 77.6KB
   ▼三ノ輪車庫さん:
こんにちは。暑い日が続いていますが、如何お過ごしですか?

さて、[都08]の項ですが、元ネタはかつて刊行した「都営バス系統別データ集」です。その中での一文だったのですが、[都08]に関してはさほど変化がありません。むしろ浅草雷門まで延長運転をするようになり、引き続き[東42乙]南千住ゆきとして営業するようになったというように、前よりもバリエーションが増えた程度でしょうか。

> しかし、この路線以前にもメールで書いたかもしれませんが、かつては「竜泉」まで営業運行していました。いつから「下谷警察署」で打ち切るようになったかは覚えていませんが、「都08」のグレー幕にしっかり「竜泉」の文字が見えますから、平成5年の都市新バス化当時は竜泉まで営業運行していた事になります。

これなんですが、竜泉ゆきというのはいつご覧になったものでしょうか。
昔の知る方にヒアリングしてみましたが、昭和50年代末〜60年代、また都市新バス化したときも入庫は(少なくとも表示は)下谷警察署行きであったとのことです。

竜泉ゆきと言えば、むしろ今年4月の幕の全交換で入った行き先としての印象が強いのですが、そのへんはいかがでしょうか。今まではこの表示はなかったと記憶しているのですが……(添付は今の幕に入った竜泉ゆき)

添付画像
【t08_6.jpg : 77.6KB】
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【10478】Re:路線資料館の都08について
 三ノ輪車庫 E-MAIL  - 06/8/19(土) 9:15 -

引用なし
    PLせつなさん、返信ありがとうございます。
 実を言うと、私はこの目で「竜泉」の幕を見たのは、PLせつなさんの添付して下さった幕と、里23系統時代の白地の「竜泉」幕の2回しかありません。
 いずれも日暮里駅での幕回転中に見たのみです。しかし、私が中学生であった昭和47〜50年頃には竜泉に「降車専用」停留所があったのは事実です。
 また、昭和50年の12月に車庫改称・移転の為、新谷町から南千住へ移動になったと資料館にはありますが、竜泉の「降車専用停留所」がいつ無くなったのかは申し訳ないのですが記憶にありません。
 ですから里23系統として竜泉から入庫していたのは新谷町時代の昭和50年12月までだったのでしょうか。中学生当時(あまり関心がなかったせいもありますが)ただの一度も入庫便をみていないのです。ですから話はすべて私の「推測」で進んでしまった事になり、事実確認という点ではPLせつなさんにご迷惑をおかけした事になります。本当に申し訳ありません。
 この先も「推測話」になりますが、下谷警察署からの入庫便が設定されたのはこの頃かもしれません。
 車庫移転から半年〜1年位(これも事実はわかりません、すみません)竜泉の降車専用ダルマポールがありました(使用されていたかもハッキリしないのです)
 降車専用だと、都営バスには到着時刻表など張ってありませんし、入庫車が増える夜間に行った事もないのです。
 大人になってみて、関心を持つようになってみるともう「下谷警察署」の幕が頻頻繁にみられるようになって「あれ?」と言うのが真相です。
 ですから、竜泉入庫は新谷町時代のみの話。南千住移転後は下谷警察入庫。
 と言うのが真相ではないかと思います。
 新谷町当時の入庫ルートは竜泉から回送となり、西浅草3丁目交差点で言問通りに右折し、入谷2丁目交差点を合羽橋道具街と反対方向に右折し、出庫はこの逆ルートとなっていました。〈営業開始停留所は不明です)
 いつも調査不足のままメールしてしまいすみません。
 ただ、南千住〈新谷町)の系統は昔から縁が深く、中途半端ながら他系統よりは
関心を持っていたこと。これは事実です。
 昔の話ですが、522番(現、東42甲)は新谷町時代、出庫車は浅草3丁目から16番〈上46)のルートで営業出庫していました。これが楽しみだったものです。(ちなみに、この当時の16〈上46〉系統は泪橋停留所があったと記憶しています)位置は汐入方向は現在の位置。上野方向は東42より数メートル後ろ側だったと記憶しています。
 11番〈草41)も新谷町時代は出庫は浅草寿町まで回送していたようですが、
足立方向からの入庫には入谷2丁目に降車専用停留所があった記憶があります。
 ですから南千住持ち時代の「草41」は大型車が使用されていました。
 逆に都電南千住営業所が存在し、完全に千住持ちだった12番〈現、里22)の出入庫は全くの謎でした。都電廃止後、すぐに跡地が千住営業所南千住分車庫になった記憶があり、その後の新谷町移転で分車庫が南千住営業所になったのです。
 ちなみに、旧新谷町営業所跡地は小学校になっています。バスの出入口が正門ですので、昔を知る方は校舎を見ながら車庫の配置をイメージできるかと思います。
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【10479】Re:路線資料館の都08について
 PLせつな E-MAIL  - 06/8/19(土) 11:56 -

引用なし
   早速の返信ありがとうございました。
それよりも前の話でしたか! それは失礼しました。ということで資料をあさって見ると、やはり存在していました。

S50.12.21 出入庫 2.030km 日暮里駅〜竜泉を開設

書類上では新谷町から南千住に変わったその日に開設されたことになっています。当初の[里23]の出入は竜泉ゆきとして設定されていたのでしょうね。(ペアになる出入庫は東武浅草駅〜錦糸町駅(3,100km)を開設となっています)
残念ながら、廃止はいつごろだったのかは分かりませんでした。出入の資料が極端に少なくなる昭和55年以降のことかもしれません。

逆に、新谷町時代は実際はどうだったのでしょうか。昭和50年12月21日では、告示として次の出入8系統が廃止されています。

新谷町車庫-根岸3-足立梅田町を廃止
新谷町車庫-南千住-汐入終点を廃止
新谷町車庫-押上-錦糸町駅を廃止
新谷町車庫-下谷3-日暮里駅を廃止
新谷町車庫-菊屋橋-浅草寿町を廃止
新谷町車庫-浅草六区-浅草寿町を廃止
新谷町車庫-中川大橋-金町駅を廃止
新谷町車庫-浅草5-南千住を廃止

上から順に、[草41]/[上46]/[里23]/[里23]/?/[草41]/?/[東42]
ということになるでしょうか。ただ実際は発言でおっしゃる通りだったとすると
新谷町車庫までは営業せず、実際は営業路線のあるところまで回送して、そこから営業していたのかもしれません。新谷町車庫前まで営業運転することがあったのかは実はよくわかっていないのですが、その辺りはいかがでしょうか。

[里22]の出入ですが、交通局の資料によればそのまま千住車庫〜亀戸駅、千住車庫〜日暮里駅となっています。ただし、昭和40年代中頃は三ノ輪橋〜亀戸駅、三ノ輪橋〜日暮里駅という運転をしていたようですので、実際は本線から外れるところで運行を打ち切っていたのかもしれません。
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