▼都電37番さん:
返信どうもです。
先ほどの発言が少し不正確な部分があったため、修正して図を作ってみました。
中央区のこの地域は、昭和40年代は激動とも言える路線の縮小続きでした。
添付の図は、それぞれ水天宮・浜町を通る系統の路線図です。
・昭和44年11月(都電21系統などの廃止直後)
・昭和46年4月(都電36系統などの廃止直後)
・昭和49年(128系統→橋27の短縮後)
・昭和44年11月
都電21系統→バス521系統の代替直後は、まだ一方通行規制がなく、521系統は都電をそのまま継いで水天宮止まりでした。
このときは60系統は、人形町〜水天宮はなぜか往復で経路が異なり、箱崎町行きは浜町中ノ橋経由でした。521も水天宮止まりだとしても折り返すような適当な場所が見当たらず、60のように回って(人形町→浜町中ノ橋→水天宮→人形町)行けば一応折り返し可能ですが…
・昭和46年4月
昭和45年に[24][37]が相次いで廃止、さらに昭和46年3月17/18日の広域一方通行指定と都電廃止と同時に[65][67]が廃止され、大きく路線網が整理されました。
[37]の東京駅八重洲口〜水天宮は廃止代替として[26乙](東京駅八重洲口〜水天宮〜新葛西橋→[東26])が新設されました。
また、[128]は一方通行の際に少しルートが変更されています。
・昭和49年
[60][521]は昭和47年までに短縮され、基幹路線を残すのみとなってしまいました。
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ツーマンカーですが、おっしゃる通りで、大塚が最後までツーマン専用車が残った車庫となっています。昭和49年8月にB代車(G-B401〜410)の入籍と入れ替わりで、F代(昭和37年度)・G代(昭和38年度)の10両が除籍され、都営バスからツーマン専用の一般車は消滅しました。