▼PLせつなさん:
>2. 都電廃止直後〜昭和50年頃まで?
>
(中略)
>そうすると、境川は明治通り上の交差点北側に両方向ともあった?
>さらに、[錦14]用の境川も同じく北側に停まっていた(それとも現在と同じように南側に停車)?
>……難しそうな問題です。
>
>※事業概要に、昭和47年11月12日の代替と同時に[錦14折]門前仲町〜境川を開設、とあります。このときはバスの境川車庫はまだないため、葛西車庫から回送して境川から営業するということを考えると、現在の交差点南側の位置にも清洲橋通り上にも停留所がなかったとすると、「境川」に停まるところがなくなってしまいます
こんにちは。ここへは二度目の書き込みになります。
横からお邪魔して申し訳ありませんが、
この時期に北砂四丁目に住んでましたので書き込ませていただきます。
まだ、境川の都電分庫への入庫線の廃線路が歩道の部分に残っていたので、
お尋ねの時期とほぼ一致していると思いますが、
境川の錦14のバス停は、その頃から現在と同じく交差点南側の位置にありました。
東陽町から東西線を利用するために、境川から錦14を利用していたのですが、
たまに葛西橋方向からやってきて境川始発となるバスに乗っていました。
当時から錦糸町方面から来るバスは非常に混んでいたため、
これが来ると非常にラッキーと感じたものです。
秋26、東26もよく乗っていたのですが、北砂四丁目で下車するため、
境川のバス停の記憶は申し訳ないですが明確ではありません。
ということで、参考になれば幸いです。
では、失礼します。