門19甲(当時)の行先表示は、新都橋の時は新都橋、有明終点の時は行先表示は有明橋で、門仲発車時の行先アナウンスは有明終点行でした。これ以上にややこしかったのは有楽町線開業前の豊洲経由の深川車庫行の前面表示でしょうか。門19と東15は覚えていますが、橋14と業10はよく覚えていませんが、経由地表示があったのは門19と橋14で、他は経由地表示がなく、橋14は東雲の文字があったかどうかは覚えていません。
▼PLせつなさん:
>▼おなすさん:
>>ここに投稿するのは何年ぶりか忘れたぐらい久しぶりになります。
>>
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>大変ご無沙汰しております。
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>>これですが、私の記憶に残っている限りでは、有明橋(有明終点)行は、その頃の行先は新都橋でした。これが有明橋に変わったのは東19が全便門仲止まりになって門19になった時と同時かその少し後だったと思います。因みに、東19の頃も門仲止まりの便はありました。
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>ここは再度調べてみました。昭和47年12月1日現在の路線図を発掘してみたのですが、ここでは
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>東雲都橋−有明貯木場−有明二丁目−有明中央−新都橋
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>となっていて、新都橋で終点ですね。
>その後、昭和49年〜51年の都バスガイドブックでも
>
>東雲都橋−有明貯木場−有明二丁目−有明中央−新都橋
>
>となっています。「有明橋」になるのは、昭和52年5月からの版となっていました。
>[東19]→[門19]となったのは昭和51年10月の改編なので、改編、もしくはその直後のタイミングとなりますね。
>ご指摘ありがとうございます。
>有明終点は相変わらず、いつ延伸されたのかよく分かりません。
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>行先表示は当初は「新都橋」だったと思いますが、有明終点時代でも有明橋行き表記だったのでしょうか? 小型幕時代は何通りか表記のゆれがあったようで、最終的に統一されたのは昭和63年の有楽町線豊洲駅開業に伴う改編、と聞いたことがありますが……。