▼naganoさん:
梅70短縮前後の画像、プレイバックサイトで拝見しました。今まで知らなかったこともわかりました。ありがとうございました。
1984年5月訪問時のつたない記憶ですが、書いてみます。
>>3)田無本町二丁目発の青梅車庫行の前面表示で「青梅車庫」行ではなく
>> 「青梅」行を掲げていたことはあったのか?
青梅から田無方向に梅70に乗車した車中から、「青梅車庫」の行先のバスを見ました。肝心な場所をはっきり覚えていないのですが、大和操車所よりも青梅寄りだったと思います。
今回、naganoさん撮影の画像を拝見できてよかったです。梅70が阿佐ヶ谷駅発着だった頃から「青梅車庫」の行先表示が使用されていたことがわかったからです。
自分は今の今まで、梅70の「青梅」表示が「青梅車庫」表示に変わったのは、1984年4月の梅70短縮時がきっかけだと思い込んでいました。(長い間思い込んでいたものです)
ここから先は余談です。
1980年に初めて阿佐ヶ谷駅から青梅まで乗車したとき、阿佐ヶ谷駅で乗車するときは「青梅」表示だったことは覚えています。青梅で下りたときは前面表示を見る暇もなく車庫へ入ってしまいましたので、終点での行先表示は見ませんでした。
阿佐ヶ谷駅で乗車するとき「青梅まで、こどもです」と言ったところ、運転手さんは驚くそぶりもみせず、運賃箱の運転席側に貼ってあった運賃表(おそらく三角表)を見ながら運賃を確認していました。170円払いました。
梅70乗車の2回目が1984年5月でした。
1984年4月に都内最長路線の梅70が阿佐ヶ谷駅発着が田無本町二丁目発着へと短縮されていたのを知らず、青梅にやって来て初めて知りました。わずか1ヶ月前に短縮されたことがわかって、結構気落ちしてしまいました。PLせつなさんがサイトに書かれたごとく、短縮情報は伝わってきませんでした。当時は大事件となる梅70短縮を1ヶ月も知らないままでした。
梅70短縮により、青梅地区の路線と23区内の路線が阿佐ヶ谷駅で接していたのが分断されてしまいました。都営交通一日乗車券だけで23区内から青梅まで行く手段を失ってしまったのですから、これはもう大事件でした。
(結構な距離を失ったにも関わらず、依然として都内最長路線でいるところが梅70の凄さです)
一枚モノの配布用路線図からも、阿佐ヶ谷駅から伸びる梅70の路線がなくなったのを見て、結構残念に思ったものです。
まだ残っているかどうかわかりませんが、阿佐ヶ谷駅南口側のバス路線案内図では、梅70の路線を隠した跡が割とはっきりしていました。最後に見たのが平成13年9月です。