▼四方津宗太郎さん:
>お好み玉子さんが東43の迂回ネタを書き込まれておられますが、
>今から12,3年ほど前、
>私も東43に乗車中に突然の迂回を経験したことがあります。
>
>東43の経路は荒川土手→東京駅の場合
>田端新町三丁目を出ると、明治通りとの交差点を直進して
>下田端を通り田端駅に上る坂道に到達するようになっています。
>しかし、下田端のバス停付近で火災が発生し通行不能となったため、
>田端新町三丁目を出た後、明治通りを三ノ輪方面へ左折、
>明治通りと尾久橋通りが交差する田端新町一丁目の交差点で右折し、
>端44と同じ経路で田端駅まで向かいました。
>そのときは、端44の下田端(現:東田端一丁目)で客扱いしましたが、
>下田端で端44駒込病院行きを待っていた人は
>なぜ東43のバスが来たのか不思議に思ったらしく
>だれも乗車しなかった記憶があります。
>
>平成元年頃までは東京駅→荒川土手のバスは、
>この迂回経路を逆にたどるのが通常のルートでしたので
>懐かしい気分になりました。
初めまして、四方津宗太郎様。お返事が遅れまして、申し訳ございません。
この迂回は83〜85年あたりの田端陸橋坂道工事時の迂回と似てますね。
荒川土手行が田端駅をでると、突き当たりを右折し、端44と同じ経路で田端新町の五差路に出て左折。明治通りを田端新町3丁目で右折して通常コースに入るのだが、ちがうところは、東京行が下田端の先で坂に登らず、(この坂で工事中)脇の道に入り直進。大Uターンするように反対側の坂道へ入り、田端駅へ向かうのです。この時期、「下田端」行が現れたという話も聞きました。
でも、その後にも同じところで迂回があったなんてドジな僕は気付きませんでした。多分、その時は王40に乗ってたのかしら?
お返事をいただき、誠に光栄でございます。
これからも、よろしくおねがいいたします。