こんばんは。
懐かしいスレッドなので久しぶりにレスさせて頂きます。
当時は港区在住で、子供の頃なのでエリアが限定されますが記憶にあることを列挙して
みたいと思います。
> (1) なぜW〜Zには後幕がないのでしょうか?
推測ですがコストダウンではないでしょうか?
コストダウンらしき兆しはS代後期あたりから見られます。
・ S代後期で、ロールカーテン廃止。車内の時計廃止(これはその後すぐ取り付け)
車掌台のドア開閉スイッチ簡素化。
・ V代で、最前列一人掛けシートのパイプ椅子化と非常口付近の椅子廃止。
・ W代中期で背面方向幕廃止。
※ 背面方向幕なしの車両が登場する少し前から既存車の背面の行先表示が廃止
され「都営バス」固定になりつつありましたので、当時新車の方向幕廃止は
事前に推測できました。
・ W代後期で前面のワンマン表示プレート化。
・ W代(期は不明)で最前列一人掛けシート廃止。
・ Y代でロングシート簡素化、カラーバンパー化。
・ その他、ジャリジャリした感触のシートがW代からC代まで採用されましたが
あれもコストダウンなのでしょうかね?
ということで。
> (2) 弁当箱の取り付けは、いつ頃ですか?(新製時は、なかったらしい)
> (4) V代以前の後幕に「都営バス」とあるが、行先として使っているのでしょうか?
> (6) 渋谷のZには後幕(上)があるのですが・・・
Z代では、新製時弁当箱により背面方向幕が復活となりました。これは、新系統番号
採用により、弁当箱に系統番号を表示する狙いであったと思います。サイズも系統番
号サイズですね。事実、デビューから暫くは系統番号(旧系統番号時代もほんの一時
期ありました。)のみ表示されておりました。
Z代後期には背面方向幕が復活。これは渋谷営業所のみに投入されましたが、過度期
の異端車的なところがあります。どこが異端かというと、当時は低床車は前方シート、
標準床車は3方シートであったのですが、渋谷のZ代は標準床(前扉が狭いので多分)
でパイプ椅子の前向きシートです。また、W代以前の背面方向幕は電球でしたが渋谷の
Z代では蛍光灯となり、青白い光を放って去ってゆく姿が当時は印象的でした。
W代からY代の背面方向幕なし車へはその後弁当箱が取り付けられ、「都営バス」と
表示固定になっていたW代一部とV代以前車両も起点終点併記の行先表示が復活しました。
古い車両の方向幕自動化はその時に行なわれたと記憶しております。(やや不確か)
あと、前面の方向幕の件ですが、T代までは起点終点併記式でしたがV代で終点のみの
記述となりました。V代ではそれ以前はステップ側にあって巻き取りハンドルが運転席
側に改められ運転手の操作が容易になったことで実現できたのだと思います。方向幕の
自動化時期は忘れましたが少なくともV代は新製時手動でした。
> (3) S35に初登場した前向きシートはK〜Zにもあるのでしょうか?
K代にはありました。新宿、杉並の車両はK代まで前向きシートです。
城南地区(渋谷、目黒、品川)はセミクロスとでもいうのでしょか、前半分と最後列
雛壇の手前が前向きシートでした。
同時期、四谷駅に足立ナンバーのクレハ車が出入りしておりましたが、そのK代は3方
シートでした。新宿、杉並ともその後の車両はセミクロスとなり、城南地区も含めセミ
クロスはN台前期まで続きます。
その後のオール前向きシートの復活は新宿、杉並のY代低床車になりますかね。