▼PLせつなさん:
こんばんは。
>目黒のX代で該当するのはX477〜486、X469〜471の13両です。3両だけ飛び番です。
飛び番はあったような無かったような。当時、目黒の車両の登録番号は殆ど全て
記憶していたのですがね。さすがに月日が経ちすぎました。
>(ほかにX621〜636もありますが遅いほうなので関係ないでしょう)
X代は品川22か2?? というのがありましたからX621〜636はそちらでしょう。
>品川のW500〜511のA-W511が品川22か101なのですが、
これは、W代でも初期のグループです。このグループから背面の方向幕が廃止に
なりました。余談ですが、日野車のヘッドライトが登場時から4灯になったのは
このグループからです。それ以前の楕円形のヘッドライトは後に4灯に改められ
ました。
目黒のW代(品川22か16?)はX代と同時(というか現認したのはW代のほうが
やや後なのですが)のもので異なるグループです。見分け方は前面窓上部のワン
マン表示です。
品川22か101ではワンマン表示が行燈式?になっていると思います。品川22か16?
ではコストダウンでプレート式になっていたと記憶しております。
話は逸れますが、行燈式ワンマン表示の件に触れておきます。これ、当時2種類
存在しておりました。メーカーが異なり2社購買であったのかも知れません。都営
バスでは営業所により車両のメーカー指定がなされておりますが(最近は法則崩れ
が顕著)、この行燈式ワンマン表示も営業所別メーカー指定?であってその法則は
頑ななまでに守られておりました。
やまひろ交通局さんのHPに昭和50年代前半「大井町界隈」というコンテンツが
あり、その中に品川2う711と756の日野車の画像があります。その711のほうは品川
営業所生え抜きの車両ですが、756は目黒からの転属車です。見分け方は行燈式ワン
マン表示の書体にあります。
756の「ワンマン」の表示は「ン」の字がやや小さいものになっております。
同じ日野車でも、
杉並は「ン」小タイプ。
目黒は「ン」小タイプ。
品川は「ン」並タイプ。
でした。<注> 但し、V代からは杉並と品川の関係(法則)が逆転します。
日野以外も同様に法則がありました。
ちなみに
渋谷は「ン」小タイプ。
新宿は「ン」小タイプ。
>これの代替はたぶん、大塚のP代(いすゞ)だと思うのですがいかがでしょう。
>大塚にはその前にもN代の富士重工車がいたようですが
>これを日産ディーゼル車と見間違えたということはありませんでしょうか。
当方、517系統でP代(いすゞ)を見た記憶が全く無いのですが。
記憶が定かではないのですが、言えることは535系統スタート時は(多分)全てが
いすゞ+川重またはいすゞ+富士重のP代新車であったの対し、517系統では
既存のいすゞ車混在で新車は日産デのN代であったことです。
見間違えは無いです。当時の日産デは2灯式であり、いすゞ+富士重の4灯式とは
顔つきが全く異なっておりましたから。
また、当時の塗装はペールオレンジ(肌色)に赤帯で、Hゴムが派手な水色という
いでたちでしたが水色のHゴムは褪色や汚れが目立つものでした。その対策か否か
はわかりませんがP代のHゴムはややおとなしめな水色になったと思います。大塚の
日産デN代はそれよりも更におとなしめな水色になっており、他のN代富士重車とは
異なる特徴を持っていたことと、P代よりも大きな登録ナンバーから当時の「新車」
ではないか?と考えております。
PLせつなさんはいすゞ指定の大塚に日産デという話しであったので疑問を持たれた
のでしょうか?
当時は他にも法則崩れがありましたが、長くなりますので別途機会がありましたら
述べさせて頂きます。