こんばんは。
「バスコレ」、Web上の画像で確認しました。前面の窓が左右一体の帝国ボデーがモデル
ですね。
当方述べたのはそれよりも世代が前でして、前面の窓がセンターで完全2分割されて
いるものです。側面後方の飾り窓の形状もやや異なります。
推測ですが、同時期(Hゴムがグレーの時期)に都営バスでは三菱+金沢という組み合
わせがありました。前述の日野車と車体の特徴(飾り窓の形状等)が酷似しております
のでこれは日野+金沢(都営の金沢はこれが最後の投入)ではなかったかと推理しており
ます。
「バスコレ」のモデルの話に戻りますが、前面の窓が左右一体となったのは日野車では
補助方向幕(系統幕)が付いてHゴムが水色になってからです。
よって、厳密には「バスコレ」モデルのようなバスは都営には存在しなかったことに
なります。
>そのバスは助手席の足元に安全窓がありましたか?
当時、都営のHゴム色は黒-->グレー-->水色と年代毎に変化が見られました。
水色になったのは推定で昭和33年(1958年)と思います。(幼稚園の遠足の日に初めて
見て幸運にも即乗車できたので良く覚えております。)
で、安全窓ですが、都営ではHゴム色グレーの時代に採用されました。他事業者のバス
では安全窓があったりなかったりしておりましたからメーカーの標準仕様ではなくて、
都営の発注仕様かオプションか、といったところではないでしょうか。
「バスコレ」は標準的なものをモデルとされたので安全窓が無いのではないかと推測
します。
あと安全窓のサイズですが、Hゴム色グレー時代のものはやや小ぶりで高さは30cm
もなかったと思います。Hゴム色水色のものはひと回り大きくなったのですがそれでも
30cmもあったかな?計ったことが無いのでよくわかりませんが。
> 私の乗ったタイプは1962年式か1961年式だと思うのですが・・・。
日野のRB(リアアンダフロアバス)が発売されたのが1960年、という情報がWeb上にあり
ます。当方記憶とほぼ合致します。「1962年式か1961年式」では都営もRBを新車として
投入していたと思います。
よって、安全窓のサイズも含め推理すると、ヤマダ トシヒデさんが乗車されたのは、
1958年〜1960年式あたりの日野+帝国ボデーで系統幕付きHゴム水色の車ではないでしょ
うか?