コメントありがとうございます。だんだん錯綜してきたので、整理したくなってきました。
昭和59年8月当時は、46両あったことは確定しています(参考:都バス東京旅情)。
すなわち、次のような構成だったはずです。
(X658 X659 X660 X661のうち3両)
Z491
D408 D409 D410 D411 D412 D413 D414
F290 F291 F292 F293 F294 F295 F296
G434 G435 G436 G437 G438 G439 G440
H171 H172 H173 H174 H175 H176 H177
K492 K493 K494 K495 K496 K497 K498
L592 L593 L594 L595 L596 L597 L598
昭和61年3月では44両になっているため、この間で2両減車されています。Z491の分は最終的に代替なしのはずなので、あとは余分に減車されているはずです。最も可能性があるのは新車と入れ替わりに余分に出て行ったD代でしょう。
これが、N代導入(N478〜N484)により、
X代3両除籍
D408〜D411 千住に転出
D412 南千住に転出
として、昭和60年4月には
Z491
D413 D414
F290 F291 F292 F293 F294 F295 F296
G434 G435 G436 G437 G438 G439 G440
H171 H172 H173 H174 H175 H176 H177
K492 K493 K494 K495 K496 K497 K498
L592 L593 L594 L595 L596 L597 L598
N478 N479 N480 N481 N482 N483 N484
とするのが自然でしょうか(45両)。
B509は昭和60年7月転属で間違いないはずです。初夏までZ491が少なくとも生き残っていたとすると、B509の転入と同時にZ491が除籍になったと考えるのが自然な気がしてきました。すなわち、昭和60年7月は以下の通りと推測。
B509
D413 D414
F290 F291 F292 F293 F294 F295 F296
G434 G435 G436 G437 G438 G439 G440
H171 H172 H173 H174 H175 H176 H177
K492 K493 K494 K495 K496 K497 K498
L592 L593 L594 L595 L596 L597 L598
N478 N479 N480 N481 N482 N483 N484
そして、年度末にB509が減車され(代替なし)、44両体制となります。
昭和61年3月末には以下の通り。
D413 D414
F290 F291 F292 F293 F294 F295 F296
G434 G435 G436 G437 G438 G439 G440
H171 H172 H173 H174 H175 H176 H177
K492 K493 K494 K495 K496 K497 K498
L592 L593 L594 L595 L596 L597 L598
N478 N479 N480 N481 N482 N483 N484
その後は、W代(前期)導入時に42両になるまで44両体制だったものと思います。