お好み玉子さん、日野石田さんこんにちは。
>>台東区が企画・輸入・購入し、交通局が委託運行したものです。
>>私も車番を確認しておらず、申し訳ございません。
>>この車輌はオーストラリア製1972年式で
確かこの豪州製のバスは高さが日本の車両基準の範囲を超えた車高があり、本来は道交法上では運行不可なものを、運行経路上にガード等の高さの障害がないということもあり、経路限定で運輸省の特認として期間限定で運行され、それが好評だった点から後年日本の規格に適合した独製(ネオプラン)の車両が再び台東区により80年に調達され、定期路線として復活したはずです。
>>営業所記号を省くことがあり、一般乗合車の後面同様、
>>登録年+局番です。この車輌は、1981年4月に運行開始しましたが、
>>1980年度の資金で購入したため、“H”が付けられたのです。
>>所属は、南千住です。
私も二階バスについての詳しい変遷は知りませんが、当方の手元に残っている写真では、廃止直前の車両は既に当初のものから代替されていたようで、T105,Y108,Y109,A110と数年次に渡って代替されていたようです。
また、余談ですが面白いことに二階バス同様、後年台東区により調達された車両を交通局が委託で運行することとなったコミバス「めぐりん」(現在は、委託先を日立自動車交通に変更)では、登場当初、ちゃんと一般バス同様の営業所記号付の局番(K−G020〜022)および営業所名「(南千住)」が記されていました。
さらに、面白いのはこのように「0番台」の本来、局内では観光車の体系が付番されていました。
>>品川営業所にS49年式(A)10台、55年式(H)3台の計13台が配属されま>>した。私が記憶している車番は、A801とH811です。
ん?私の手元に当時(1次車)の写真が残っています。それによると「A813」が写っています。ミニバスは一般車のように後からH代が追加された訳ではなく、路線方式の見直しによるリニューアル(フリー降車区間の追加、立席乗車可)での車両全面入れ替えでしたから、H代が3台ということはないはずです。よって、各世代13台のA801〜813、H801〜813ではないでしょうか?
ちなみに、2世代とも使用車両はトヨタコースターで、当初のA代については、今後の新交通としてのミニバスの実験の意味もあり、先日の燃料電池バス(S−L111)同様にメーカーのトヨタから全台貸与だったと記憶しております。H代については局予算での購入と思われます。正式な型式は良く判りませんが、形状はほぼ同様ながらH代車の方が立席が可能になった分だけ、一回り車体が大きくなったはずです。また、A代は「美濃部カラー」、H代は黄色い「鈴木カラー」でした。
A代については引退後トヨタに返却されたものと思われますが、その後の余生は不明。H代については、一部は都関連の福祉施設の送迎バスとして利用されていたのを目撃していますし、他の方のHPによると数台は岩手の東磐交通に引き取られた模様で、同社でコミュニティ路線等で活躍した模様です。(現在は既に廃車)両者とも、ボディカラーは「鈴木カラー」のまま運行されていました。
現在では、ほぼ同サイズのリエッセやポンチョでのコミバス運行も珍しくなく、ちょっと「早すぎた登場」が「絶滅」を早めてしまった残念なケースでしたね。また何らかの形での『敗者復活』を期待したいところです。