>▼ぽんぽこさん:
>
>>そんな時代もありましたね。当初は江北橋の取付道路は鹿浜橋方のみしかなく、下りて来た後は、荒川土手下までの道路は、上下線の間に小山のような所があって、分割されていたり、土手下停留所は今より交差点近くにあって、一時期までは隣に交番があったり、操車場方向への発車は、信号が変わると斜めに出発して行くなっど、のどかな光景でした。
▼東武指令さん:
>あの頃の停留所から土手の上に登り切った場所から見る豊島団地や鹿浜橋に沈む
>夕日は凄くきれいで有名だったんですよね。
>荒川土手操車場に早着したバスが時間調整していたのも思い出します。
>かなり早い時期に廃止されたのですが、あそこで国際興業の京成関屋行の路線にも
>乗れましたよね。
ぽんぽこさん。東武指令さん。はじめまして、おはようございます。
昔懐かしいお話ですね。
先日足立区の広報誌に宮城方から江北橋へ駆け上がるボンネットバスの写真が掲載され、お話と共にのどかな光景に見入っています。
国際興業の関01は、1時間に1本バスがやって来たのも思い出します。
椿二から江北橋への道が一方通行なので鳩ヶ谷ゆきは鹿浜橋経由でしたね。
王46も「はるかぜ」と競合する区間が長いので、負けないぐらいたくさんのお客さんが利用されるといいですね。