▼ぽんぽこさん:
>「支所」ではなく、最近で言うところの「分駐所」扱い、確か当時は「分車庫」と言っていたような・・・。
後面方向幕の話ではありませんが…
昭和町は「滝野川自動車営業所昭和町分車庫」という呼称でした。
当時は分車庫と呼ぶスタイルが多く、格付けをすると営業所、支所、分車庫、操車所の順になります。ただし、支所の下に分車庫はこず、分車庫の下に操車所はこないという約束事があるようです。
今の深川営業所も、その前身は州崎自動車営業所東雲分車庫という名称で現在の都橋住宅の場所にありました。
昭和町分車庫がなくなって以後、分車庫という呼称はありませんでしたが、昭和62年の臨海自動車営業所発足時に、船堀駅前にあったそれまでの江戸川営業所を「臨海自動車営業所船堀分駐所」とし、現在は東小松川分駐所へ移転しています。
実質的にこれが分車庫に代わる組織といえます。最近では港南分駐所が支所に格上げされましたね。
>昨今のように担当制がなくなり、管理が曖昧になって荒れ放題になって車を見ると、当時は担当者によって運転台周りも微妙に個性がありました。
乗務員氏より担当車制という概念は現在でもあると聞いています。
都市新バスや、中型車専用系統、また都01・02のように中型系ノンステップバスを極力運行しないような系統など、車両運用に制約があり担当車を持っていても走れないケースが多いこと、週休二日になったこと、以前に比べ車両数が少なめになっていることなど、自分の担当車に乗る機会が減っているのは間違いないようです。このような様々な要因により、結果として車両の手入れが行き届かなくなったという印象を受けられているのでないかと思います。
運転台周りも微妙に個性…というのは私も同感です。
運転席付近に交通安全のスズメの置物(金メッキが施されたもの)や、サンバイザーやワンマン札の部分にぬいぐるみがぶら下がっているなど、担当乗務員氏の主張とでも言いましょうか、仕事に対する良い意味での姿勢の現れを車両から見て取れるような光景が多かったですね。
また、古い車(非冷房車の時代)にはなぜか運転席の右後方に一輪挿しがついていたりして独特の風情というか情緒を感じさせられるものがありましたが、最近では経営側の管理という側面もあるのか、このような個の主張的なものは見られなくなってしまいました。
その代わりといいますか、みんくるのシールをあちらこちらに貼っている車両や、各営業所独自に車内事故防止の啓発ポスターやステッカーを見るようになりました。