▼TETSUさん、:
>お祭りなどの定期的な迂回はふつうにありますが、
>以前こんな珍しいことに出くわしたことがありました。
>こんな経験、当然ながらその後はいっさいありません。
1988年のある日、
江北橋の宮城側の坂で工事が行われ、坂道は、大きな穴が開き、乗用車しか通れず、東43は迂回、王40は分断されてしまいました。このとき僕はお金がなく、
一日乗車ができませんでしたが、現地を見回ったり、通勤で利用している家族からお話をきいたりしました。
東43東京駅北口→荒川土手=宮城都営住宅から約200m先の左手の米屋の向かいの道を右に入り、まっすぐ行き、みずき(小台)通りを左に曲がり、土手通りを通り、江北橋を渡って荒川土手に着く。東京行は、その逆を通るらしい。
王40西新井駅→宮城土手上・宮城土手上→池袋駅東口=迂回はないが、どっちのほうも、宮城土手上で強制下車される。池袋からのバスは宮城循環がUターンする地点が乗降場、西新井からは、江北橋の上が乗降場でした。
王45や40乙(当時、宮城循環)には、影響はなかったみたいです。
本当に一生に一度の出来事でした。
ミッドナイト25開業当時の王子駅ー豊島五丁目団地 線
1988年12月、このとき豊島2−豊島6までの道は、深夜になると、道路工事が始まるため、約2・3ヶ月の間、王子4・トンボ鉛筆経由をノンストップで運行していました。方向幕も専用のものがあり、前面に変化はないが、側面と後面に、大きく行き先だけ書かれていました。