はじめてお便りします。
▼T君さん:
>当時の都営バスは明確な将来展望を見据えた上で事業展開していたように感じます。
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> 『一道路一路線の下、最寄りターミナルへの直結を図る』
>『一路線は残しバス道路は極力消滅させない』
>『事業規模を大幅に縮小させつつも残存系統は増強し、待たずに乗れるバスを指向する』
>といったところでしょうか。
本当に交通サービスの基本ともいえる、都バスの未来図をしっかり掲げていましたね。
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> この志は後代に継承されず、管理人様ご指摘のように一道路に複数系統残ったり、廃止路線に対する他系統の経路変更がなくバス道路が消滅したり、の状態になってしまいました。
>> どのようなビジョンを描いて路線改編を行なっているのか、その方針が不明確なようで残念です。
過去の大規模な整理短縮で、もはや改編できる系統が少なくなり、廃止・短縮等は都民の抵抗が予想されることから、減便を繰り返して事業の縮小を行っていると思います。
将来の方向付けよりも、当面の赤字を出さない事が先決で、場当たり的な対応になっているのかも知れません。
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> お話のように、この循環ルートに、バスレーンを終日実施して定時性を確保し、高密度運行を実施して間断なくバスを走らせれば、鉄道代替線的な基幹系統として利用が定着し、バス復権に大きく貢献したかも知れません。
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高71・飯64は元々東京駅始発でしたよね。
今後も経営が好転する見通しがないことから、東43は駒込病院で、東42は浅草橋・東神田で切られるかも知れません。
かりに存続したとしても東京駅まで来るのは、反94や東22乙のように極端に少なくなることも予想されます。
こうしたことを考えると、都心部各鉄道と有機的に結節する都心循環バスは現在でも必要かもしれません。