お返事が遅くなりました。
わざわざお調べいただき、ありがとうございます。
まだセンサスの調査が途中で中断しているナマケモノです^_^;
それはさておき、S35版の乗客調査統計報告書も世の中には存在したのですね!
それは是非見なければ。資料にあたって、50・51系統の謎(東大構内の先は
どこ?)も解明したいものです。
うちの大学の蔵書にあるのだろうか……と思って蔵書検索をかけてみたら、
現在ご利用できませんと返されてしまいました…。
本題に戻りますが、29系統は確かにこの時点では(旧)葛西橋経由なのですね。
それは良いとして、15乙経由(すなわち、船堀小〜宇喜田を現在の船堀街道
経由)で運転されているに違いない、というのは、不思議の一言です。
この頃は、もう安楽寺経由の道路は開通していたのでしょうか。
いつもの系統の運行と異なるものが調査されたのであれば、最初に何か
書いてあるはずですし、そもそも突発的に全く違う経路になったというのなら
再調査するはずですし……。
あとは考えられることと言えば、この時期は木造橋の末期で、老朽化により
恒常的に迂回があったのかもしれません。単なる思い付きですが^_^;
うーむ謎です。タイムスリップしたくなってきました。